自動車輸出物語

三菱商事自動車部OBの海外活動

自動車輸出物語タイ03.jpg1962年出張時。タイバンコックとサラブリを結ぶ幹線道路をいすゞトラックが疾走する。当時は、雨期になると道路が冠水し4時間も掛った。

自動車輸出物語 000-084



記載日付:2011年7月31日
ライター:鈴木富司
番号:000-084
タイトル:田村一彦君をインタビュー

 2003年10月22日号に書いた70話「海外における自動車部品補給と修理 その3(火の玉のような永住日本人サービスマン)」を読み返していましたら、こんなことが書いてありました。「私に筆の力があれば改めてインタビューをして『小説田村一彦』を書きたいところです。中村敬止さんとは、違った生き方の主として、物語を満載している人物なのです。なお、田村青年と言っても、今では一緒に送り出した奥方とジャカルタに永住し、三菱の乗用車販売店の社長として活躍をされています。」

 昨年12月にインドネシアの自動車会社KTB社の創立40周年記念に招かれて、ジャカルタに行ってきました。この自動車輸出物語にも何度も登場するNew Marwa 1970 Motorsが創業したのが、社名にも示すとおり、1970年ですから、あれから40年を経て創立記念をインドネシアの政財界の人を集めて盛大に行われたのです。道路も、街も、事務所も、工場も様変わりのジャカルタを堪能したのは勿論ですが、懐かしい昔の関係者と会うことができたのが、何よりも嬉しいことでした。

 田村一彦さんからは、5時間もお話を聞くことができました。彼が父親に教えられ、引き継いだことに関連した、ジャカルタにおける暴動時の対応は、まさに小説のようなお話でした。現在手がけておる真珠の鑑定と商売の話にも、時間を忘れて聞き入りました。中でも印象に残っているのは、日本に比べて社会保障の少ないインドネシアにおける社員の処遇に関する彼の訓話のような話でした。

 私がインドネシアを去った1981年当時は、まだ従業員も若く、定年退職をするひともほとんど居ない時代でしたが、今回会うことができた昔のインドネシア人の仲間も、ほとんどが60代後半から70代になっていました。私が在職中につくった規約により、大部分の中堅幹部のひとが会社からのローンにより、土地建物を取得していたので、老後の安定には役だっていると自負はしていたのですが、年金がほとんどない老後は、日本では想像もできない厳しい生活であることを田村さんから教えられました。

 特に、インフレも激しく、退職金のごとくまとまったお金が入ると、親戚縁者に分け与えてしまう社会的な因習が残る社会においては、日本における常識は通用しないのだそうです。三菱車の販売に苦楽を共にした、昔の仲間の老後を心配する田村一彦さんの「訓話」は、これから文化の違う世界各地で企画や経営に携わる若いひとへの助言として、一寸触れておくことにしました。

 スハルト政権末期のジャカルタにおける暴動時の対応も、全部は語れませんが彼の物語としてご披露をしましょう。まず、この物語が成立するには、彼がずっと以前から周到にやっていた戦略的な「一手」があったのです。具体的な組織の名前は忘れましたが、学生に対して、彼は自分の私的な奨学金制度を設けて、援助をしていたのです。

 ある時、彼の六感にピーンとくるものがあったので、調査をしていくうちに、これは何か異常事態が起こるに違いないと確信をしたのだそうです。つまり、いつ暴動が起こってもおかしくないと準備をして、指揮をしたという物語です。迂闊にそういうことを口にしたら、大問題になりますから、あくまで一般論として、非常事態に備える対策を部下に指示をしていったわけです。

 具体的な指示が傑作なのです。女子社員には、帰宅時に着る長いスラックスを用意させて会社のロッカーに入れておくように命じました。独身の男子社員には、おそろいのT-シャツを準備させ、オートバイで、女子社員を帰宅させる編成をおこなったのです。その他、非常時における手当の制度や、だれがどんな対応をするかまで決めていたのです。

 更にお水の入った小さなアクア瓶を大量に購入しました。これも面白い発想なのですが、彼が戦後の神戸で体験した少年時代の想い出が原点だそうです。物をくれる人には悪さはしないし、守ったものだとという体験です。デモ隊は、汗をかくし、喉が渇くから、アクアの瓶は宝物になるという彼の推察は、見事に当たったのです。実際に、デモ隊がやってきて、他の自動車販売店などは、襲われたのですが、独身のT-シャツ隊が、店の前でデモ隊目がけて、小さいアクアボトルを大量に投げ与えたのです。

 当然、デモ隊は喜んだし、同じイスラムのインドネシア人従業員が必死で、店を守っている姿を見て、一切壊されなかったということでした。暴動が収まったあと、彼が独身男性隊に演説したのは、「まだ、これで収まったわけではない。再度起こったら、次回は手当を二倍にするから、今回同様女子社員を守り、店を守ろう」ということで、多いに盛り上がったのです。

 とにかく、情報の重要さを知っているものですから、独身男性のオートバイ隊に、女子職員を自宅に送る傍ら、要所要所の状況を彼宛に報告させる手筈もとっていたし、驚くことに、ハンデイートーキーを準備もしていたのです。一民間の販売店の社長が、異国で、ここまで準備して指揮をとる姿は、やはり自動車輸出物語の話題に相応しいと思い、インタビューを再現したわけです。

 彼が、おかしなことがあるなと気付いてから、実際に暴動が起こるまでには、4ヶ月あったそうです。普段の何気ないことにも気を配り、最悪の事態を想定して準備、訓練をするのもリーダーの役割だと田村節は、続きました。



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 一年ぶりの執筆になりましたが、「田村一彦君をインタビュー」はいかがだったでしょうか。

 昨年12月、創立40周年に招かれた時には、他のひとにも会いました。私が採用して一緒に働いたインドネシア人中堅幹部の3人に会いました。その時に、当時広告宣伝を担当した水産大学卒業のマスウイルさんとも意気投合しました。彼が、バリ島ではじめる、貸し別荘"Puri Goa Gong"のホームページをつくることを引き受けて帰国しました。

 半年ほどかけて、http://www.baligoagong.comを制作しました。私なりに凝って、充分時間を掛けてつくりました。執事や専任ドライバーが常時待機する、借り切り方式の別荘で、6人程度のグループ旅行に最適です。


鈴木富司

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バリ島貸し別荘 Puri Goa Gong









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