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伊東 孝彦

伊東写真事務所にて2011.9.24:005.jpg1934年東京大学医務官の長男として、浦和で生まれる。

 小学校5年生の時に北部朝鮮で終戦を迎える。病院長をしていた父親と別れ、一年後に小学生でありながら、100名の同胞を指揮して、難民として38度線を突破、米軍に救助され帰国。

 浦和高校を卒業後、東京赤坂の自動車修理工場に勤務、旋盤、溶接、塗装、電気配線など学ぶ。突然学問を志し、東京工業大学を受験・合格。ラテンクオーターのボーイをしながら苦学して、ひとより長い年月をかけて勉学、卒業。

 大企業への就職斡旋を断って、当時では珍しいフリーターになり、機械・電気関係の考案、設計、製作、試運転をパッケージで受託して生計を維持。

 雪ケ谷制御研究所を1975年に同志と二人で設立、機械・電気関係の考案、設計、製作、試運転を提案して受託する特異なビジネスモデルで株式会社を維持。その間、共同研究者や秘書以外は雇わず、すべて自身の頭脳と技量で創造してきた。このスタイルは大学を卒業後約50年維持している。

 勤務形態は、常人と違って正月と入院以外は月月火水木金金のフルデイで創造に没頭。発明や論文発表も数多いが、収入の伴わない委託研究以外のプロジェクトでも、興味が湧いたら寝食を忘れる。

 人力飛行機、忍者の浮き袋、和船の艪の近代化、電気自動車など数多い。キャパシタを利用した電線のない電車はゴルフ場を借りて線路まで敷いてしまった。現在、人力ヘリコプターを設計・製作をしてシコルスキー賞に挑戦中。

雪ヶ谷1ロゴ.jpg

このサイトは伊東孝彦君が52年 
経営してきた個人の技術研究所を
紹介するために学友が制作した