自動車輸出物語 

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記載日付:2000年6月12日
ライター:鈴木富司
番号:サンプル03

船の手配に燃える:

1960年4月1日は私の入社した日です。前任者が4月の20日にはロンドンに私費留学をするというので、入社早々仕事の引継がはじまりました。当時の有名な駐ソ大使の息子さんで、田舎出の私とは別世界のひとでした。他の新人は研修会に出ているのに、私だけはもう実務です。40年も前のことですが、鮮明に覚えています。
その月にいすゞのトラックをタイ向けに20台船積をしたのです。いかに大変なことだったかは、現在では想像もつかないでしょう。5月はゼロでした。しかし、6月からは毎月20台ぐらいずつコンスタントに輸出がはじまったのです。最初は、書類をつくるだけで精一杯でした。どんどん数量が増えると何しろ大型トラックの完成車ですから船の手配が大変なのです。注意をしていないと、オンデッキと称して船の甲板に載せられてしまうのです。そうはさせじと、港の現場の人によーく頼んでおいて連絡をして貰うのです。ある土曜日の午後でしたが、ご注進ということで、現品が船の中でなくオンデッキにして出航の準備に入ったというのです。上司は不在でしたし、船腹課のひとも帰宅済みでした。船会社の営業の人にも連絡がつきません。若気のいたりというか、電話でわめきちらして、ついに船長にまで船舶電話でつないでしまいました。外国船ですから、外人さんでした。結局、一等航海士が必ず真水で洗うからオンデッキで勘弁して欲しいというのを、約束が違うとまくしたてて、10台だったか全量を下ろさせてしまいました。潮をかぶったら錆が発生するし、一方現地では一刻も早く到着を待っているし、船はすぐにも出るというし、大きな大きなデシジョンでした。結果は覚えていませんが、大目玉を食った記憶がありませんからご正解だったのだと思います。まあ、バイヤーは身内の支店ですし、自分の会社がリスクを負っての買い付けですから、契約よりも商品を物理的に守るという判断を下したのでしょう。当時商事会社内でも、2つの教えがありました。契約がどうなっているか、誰の責任かを明確に判断するという考えが主流でした。この場合、そのまま船会社の責任で出航させて、錆が発生したら損害賠償金でカバーをするという判断が主流だったと思いますよ。経験の浅い若造に判断をさせたら会社を潰してしまいますからね。スリーダイヤの信用で若者の決断でも、ものごとが進んでしまうので、本当に青ざめました。一方で、外人と渡り合うという商社マンらしき仕事に大変な充実感を覚えたものです。もう、新人ではなく、ある程度経ってからの物語だったかも知れませんが、いまでもその相当生意気だった自分を思い出します。

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