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記載日付:2000年4月21日
ライター:鈴木富司
番号:サンプル02

独立記念塔の広場でブレーキテスト

ジャカルタの独立記念塔広場といったら、現在は道路も整備されて車が何列にもなって走っている街の中心地です。さしずめ、東京なら皇居前広場のようなところです。何と、そこで私は車のブレーキテストをしたのです。当時は走行する車はほとんどありません。そこで、40キロ位に加速した上でハンドルから手を離して急ブレーキを掛けるのです。道は舗装されていて10台くらいは並んで走れる広さですから多少曲がってもいいのですが、穴ぼこがあったりして怖い思いをしました。
そうですね、私たちの組み立て工場も街の中心街にあって、そうそう1860年頃に建ったという、由緒ある馬車工場だったところです。東京で言ったら麹町みたいなところの小さな工場でブレーキテストが出来るような場所は無かったのです。やっと、工場もできあがりピックアップトラックも組上がったのですが、ブレーキが片効きするというので、日本人指導技師とインドネシア人の検査員とが大論争。その話し合いの過程でそれなら実車でテストをして見ろという険悪な雰囲気で、急遽テストドライバーに仕立てられてしまったのです。運転は上手な方ではないし、横転でもしたらこれから売り出すのに支障を来すし責任重大でした。
私の上司の中村敬止チーフアドバイザーは猛烈厳しい人でした。その人がインドネシア人検査員に絶対に妥協するなとの厳命です。勿論、インドネシア人に自主性とプライドを持たせるという戦略的な深慮遠謀です。一方、部品は塩水に濡れて錆が発生しているとか、作業者は素人同然、ブレーキテスターは勿論無いし、テストコースもない劣悪な環境で、出荷日を厳命されている指導員さんのイライラは最高潮。まあ、何とかブレーキのならしと人種間のならしを乗り越えて、今では思い出のひとこまになっています。1970の終わり頃の話しでした。

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