自動車輸出物語
(Ver02 2007.8.23)先を急ぐひとは、 ここ
2000年6月にメールマガジンを書き始めた頃の「熱い想い」は:
「外貨のない日本のためにと、わたくしたちは働きましたね。あらゆることに優先してました。ドルを稼ぐためといえば、無謀とも言えた経済活動でも許されました。そのように血道を上げたのは一体何だったのでしょうか。輸出担当になるのは、名誉であった。忙しかった。輸出以外は考えてはいけない逃げ場のない職務であった。しかし、最初は採算度外視の将来に夢を託す仕事でしかなかった。そういうことを担当させることが経営者の大義であり、見栄でもあった。そういう、組織的な行動が日本の隅々まで、行き渡っていた。あたかも、大きな蟻や蜂の集団で、働きものに任命されたような、日本社会全体の大きな大きな大義であり、名分を担った輸出屋さんの出現であった。その中で自動車輸出は規模も大きく、世界中にその一大構築物をつくった日本人のシステムであったのだ。そこには、思わず微笑んでしまう物語があり、ロマンがあった。それらの物語を記録していくうちに、次なる大きな大きな大義のもとに繰り返される社会的な日本人のシステムとは、どんなものになるのだろうかと眺めてみたいと考えています。」
ということでした。
そして、物語の中心は、私の上司である中村敬止さんのことが多かったようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2007年8月にメールマガジンを再登録することになり、改めて視点を変えて書くことにしました。その視点とは:
「私、鈴木富司は、どう生きてきたか。学生時代、三菱商事時代、転職後の行動、現在の想いも、ある一連のキーワードで貫かれていると気付いたのです。
新しい思想
新しい技術
世の中を変えること、もの
世間一般のひとが理解し難いこと、もの
世のためになる
それが眼前に現れるとスイッチが入ります。
自動車輸出、海外事業を担当して、何に燃えたか。すなわち、スイッチが入った模様を記録して置こう、つまり自分の生き様を確認しようとの視点から書く」ことにしたのです。