自動車輸出物語 

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記載日付:2004年11月30日
ライター:鈴木富司
番号:000-074
タイトル: 南京虫にやられながら販売店網を築いた吉田治邦さん

 
 さあ、また執筆を再開します。

 何度も登場願ったわれわれの指導者だった、中村敬止さんの周りには、いろいろなひとがおりました。日本人では、吉田治邦さん、インドネシア人ではグネービーさんが特筆に値すると思います。吉田さんがインドネシアに派遣されたのは、私が本社でインドネシアプロジェクト班長をやっていた1971年ころだったと思います。

 どんな時代だったかというエピソードから、入りましょう。私が書いた現地のレポートのなかに、「女中の月給が、トイレットペーパー一巻きより安いから、女中がトイレットペーパーを使っていないのは、明らかだ」という趣旨のことがありました。それがどのように、彼に伝わったのかは知りませんが、赴任するにあたり、膨大な量のトイレットペーパーを持っていったようです。5年くらい滞在しても、まだ残っていたとのことです。

 丁度、販売網を急速に広げているときだったため、彼の主な任務は、インドネシアの田舎に出かけて行って、販売店候補を見定めて、店舗や部品庫、修理工場の立地を確認することにありました。まだ、未開発の地域が多かったので、ホテルも現地の木賃宿でした。南京虫に悩まされ、相当の苦痛がともなうものでした。体中が真っ赤に腫れ上がったのを見たことがあります。それでも、あのエネルギーはどこからでてくるのか、まさに超人的なスケジュールで、飛び回って、販売店網の構築に、全身で体当たりをしていました。後年、その片鱗を私も体験をしたのですが半端ではありません。私が本社から、現地に赴任すると、現地の営業を勉強するには、現場視察が大事とばかり、私のために、現地視察のスケジュールを立てたのです。彼と一緒に田舎を回ったのです。

 中部スマトラのパダンまで飛行機で行って、そこから北部スマトラのトバ湖までの山のなかを、蛇行しながら、1300キロくらい走った記憶があります。現地では有名になっていた、コルトの改造ミニバスで走行しました。殺人的スピードで走るのですが、右に左に揺れるので体を支えるのに必死だったことを思いだします。水平に窓に張ってあった四角形の鉄棒を一日中握っていたので、皮がむけてしまいました。でも、あんな豪快で楽しい旅は、もうできないなーってときどき思いだします。

 彼は異色の経歴でしてね、防衛大学校を卒業して三菱商事に入社したひとなんです。バズーカ砲みたいに、飛び出しっていったり、機関銃のように話をしたかと思うと、参謀将校のように、緻密な計算をしているんですね。ひとを思いやるときは、前線の士官のようでもあるんです。また、お客様や販売店のことを思ってメーカーと戦うときは、怖いものがまったく目に入らない戦士なんですね。

 話題だったら、つきないのですが、愛妻家としての吉田治邦さんは、すぐイメージとして思い出したり、想像することができます。億円クラスの切手収集家の吉田さんがあの大事にしている切手の1000倍くらい奥様を大事にしています。結婚式は豪華な顔ぶれでした。彼の父親が大蔵省キャリアであった関係もあり、時の政治家福田赳夫さんも駆けつけてこられたし、奥様もやんごとなき子爵のお姫様だったと記憶します。勿論、清楚な美人です。

 その愛妻が、まだ未開の都市であったジャカルタで出産をされたのです。病院に駆けつけたいが、上司の中村さんは仕事に没頭しているときで、なかなか言い出せない。意を決して、「間もなく生まれるので・・・」と言い出したら「誰が、生むのだ」とのお言葉。思わず、彼が「私が生みます」と答えた。「よし、それなら、すぐに病院に行け」という命令。

 私は、東京にいましたから、現場を見たわけではないのですが、その場面のイメージができるのです。二人の関係がなんともほほえましく、厳しさと愛情が、複雑に絡まった人間模様なのです。彼の大いなる貢献と失敗のかずかずが、インドネシアの自動車市場開拓の礎になっているのです。

 時点と場面は、覚えていませんが、このところ話題になっている三菱自動車工業のひとに対して、「メーカーは奴隷なんだから、販売店や俺のいうことを聞け!」ってやってしまったのです。これは、彼の持論でもあるし、いつも言っていることですから私は、その話にはたいして驚かなかったのですが、自工本社の副社長まで、レポートが行ってしまったのです。「奴隷はないだろう」って三菱商事の本社にクレイムがきてしまって、中村さんも大分困ったようです。でも、彼が言いたかったのは、「現場で苦労しているひとの声は聞け」
「理屈だけでは、商売はできない」と言うことだったのです。

 中村さんが病で倒れられたあとも、ずっと下士官吉田は、中村さんのお世話をしていました。今頃、鬼籍に入られた自工幹部は、中村敬止さんになんて言っているのかなーって感慨深いものがあります。

 彼は、本社で新規事業も随分と手がけました。発想と猛烈ぶりは凄かったものです。そのときに認められたのでしょう。現在は、オートバックスセブンの常勤監査役として、痛快な日々を送っているようです。

 彼と私はインドネシアで、中型トラックの拡販で意気投合をしました。彼が賛成してくれたので思い通りの展開ができたのです。この物語は、いずれ書きたいと思っています。

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 相変わらず、スキマティック・ライターとして原稿を書いています。
先週、「インターネットは『賽銭箱』だ!」という原稿を書き上げました。

 先月、凝りに凝ってホームページをつくりました。
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調子にのって、ID for WebLIFEというソフト会社のコンテストに応募をしたの
ですが、見事落選。やはり、写真の撮り方を勉強するために息子のカメラマンに弟子入りせねばと思っております。自動車輸出物語の写真版もいずれ、掲載しようと考えています。

 昨日は、慶応の藤沢キャンパスに行ってきました。仲間と、ビジネスモデル特許開発のためのブレーンストーミングをしに行ったのです。学生さんも、同席した先輩たちも、われわれの手法を大いに評価してくれました。その場でテーマを与えられて、特許性のあるビジネスモデルを生み出し、プレゼンテーションの画面にまで落とし込んだ、われわのノウハウには脱帽というところでした。

鈴木富司
Schematic Writer
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