自動車輸出物語 

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記載日付:2003年5月21日
ライター:鈴木富司
番号:000-0067
タイトル: 自動車国産化法令と実践 その15
     (国産化の推進をするお役人と勉強会)

 
 国産化法令の発令と修正の現場の物語を書きましょう。インドネシアの例です。

 徐々に国産化が進んできますと、お役所ではこれなら行けると自信を持つものです。一方、部品メーカーは法令で採用を義務づけて貰いたいから積極的にアッピールします。もう充分国産化が出来ると説明をするわけです。しかし、われわれは自動車本体を組立てるために、国産化部品を採用する側ですから、それなりに品質チェックや安定供給保証の見極めなど、慎重にことを運びたいと思うわけです。それにコストの問題があります。現在のようにコストを理由に海外に部品工場を移す時代になると信じられないでしょうが、その当時は現地部品の方が割高だったのです。

 ですから、新規に法令がでることは大問題だったわけです。絶えず、どの品目が強制的に国産化を命ぜられるかを見極めるため最大限の注意を払っていました。それが私の仕事だったのです。工業省はときどきアドバルーンをあげて反応を見ます。顔色を変えて、それは無謀だと訴えるわけです。インドネシア人役員のヘルマンさんが、工業省のお役人と親しくなり、情報を得てくるわけです。彼の立場も微妙なものがありました。やはり母国の工業化を夢見て慶応で学んだひとですから、別に日本側の代弁者というわけではありません。本当に現場で、どう困るかを率直に訴えるわけです。私が直接工業省に出向くこともありました。

 しかし、場合によると打診もなしにいきなり「決定」されて法律が出てしまう場合もあります。それがASEAN会議の直前になるとそういう決定が出ることに気付きました。マレーシアやタイ国と競争関係になっている訳です。会議で自分の国は、もう法令も出されていると政治的に駆け引きをするために必要なのでしょう。あるいは、会議に出席するお偉さんからの指示もあったのだと思います。

 徐々にそういう政治的な決定にも対処する方法に慣れてきましたが、やはり相互に不具合があるものですから、工業省内に設置された自動車国産化に関する委員会の皆さんと勉強会を開くようになりました。この委員会は精鋭部隊だったですね。米国で勉強したお役人が多かったようです。その後確か大臣にもなった筈です。わがKTB社のヘルマン氏がコーディネーターでした。

 黒板を使って、国産化の過程で生ずる問題点などをお話しをした記憶があります。そのヘルマン氏は、その後インドネシアの自動車工業界の会長になり、ASEANの自動車工業界の幹部にもなって活躍をされたひとです。その頃は、お役所も民間も一緒になって勉強をしていたという時代だったのです。

 1969年の1月16日に自動車国産化に関する法令がでる瞬間から、その成り行きに一喜一憂しながら関与をしてきました。法令を出す方も、それに応える外国勢も、こんなにも早く国産化が軌道に乗るとは思っていなかったと思います。12年経過して、私がインドネシアを離れるころには、エンジンの国産化の話しもちらほら、でている時代になっていました。関与した組立工場だけでもペルモリン、パラッド、SMM、KRM、ISMAC、ピピットと6社にもおよびます。規模は月産100台や1000台単位の工場でしたが、私の思い出の物語としては、1万台の工場に匹敵するものでした。

 インドネシアで修理関係の仕事をしていた安全自動車出身の中野さんからメールが届いて、昔の仲間の消息を伝えてくれました。次回からは修理・補修部品関係の物語を書いてみたいと思います。田村君、五十嵐君という中村さんを支えた勇ましい男を登場させましょう。

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 このところ雨が多いですね。それでも今日は一服らしく青空がのぞきました。

 Lucent社のコーディネーターをしていたのですが役割が変更になり暇になりました。このまま引退する氣にもなれず、いくつかの新しい仕事について調査をはじめました。それにしてもウェッブ・サイトというのは便利なものですね。
特許開発は相変わらず続けています。電動補助自転車は快適です。

鈴木富司
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