自動車輸出物語 

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記載日付:2002年10月18日

ライター:鈴木富司

番号:000-0060

タイトル: 自動車国産化法令と実践 その8  

     (ゼロから自動車部品産業事業家を育成する)
 あとから題名をつければ事業家の育成ということになるわけです。彼との出会いの時と状況はいまでも鮮明に覚えています。1976年6月にジャカルタの三菱車総販売店のKTB社にアドバイザーとして赴任をした日です。チーフアドバイザーの中村さんにご挨拶したあと、自分の寮に戻ってきました。飛行機の中でも結構飲んでいましたから、良い気分になっていました。他の日本人駐在員に囲まれて結構気炎をあげていたのです。そうすると右側の末席に小太りの若い華僑のひとがおとなしく座っていました。全く話をしませんし、ただじっとこちらの話を聞いているわけです。

日本語は判らないようですが、とにかくじっと聞いているのです。 貴方はどなた?と英語で聞くと英語で答えてきたのです。その当時出入りしていた華僑のひとで英語のできるひとはほとんどいませんでしたし、若いひとでしたから驚くと同時に、興味を持ちました。そして、どうやら英語でまくし立てたような気がします。あまり飲めない酒も、さあ一緒に飲めという調子だったわけです。彼は、ただYes sirとサーをつけてまじめに答えるのです。彼とはダニエル・ルスリ氏の若いときの姿です。

 彼は非常に勉強熱心な青年でした。事業家としては、まだ全くの駆け出しです。資金も、名前もバックもなにもなかったようです。小さな部品の商店で商売をしたり、便利屋みたいに社宅の修理に大工をつれてきたりしていたようです。三菱に出入りしていれば、何かを得ることがあろうということだったのだと思います。今度来るアドバイザーはどんなひとかなと偵察に来たのか、あるいは誰かにご挨拶をしておいた方がいいというような情報を得ていたのかも知れません。

 それはそのままで終わって忘れていました。赴任直後に前号で書きました国産化法令が突然出されて急遽、その対策に乗り出したわけです。会議の席上でマフラー(消音器)をどこで作るかということになりました。まあ、それほど難しい工作ではありません。設備も鉄板やパイプの加工と溶接ができれば何とかなろうというものでした。担当のK-君が、ダニエルさんにやらせたらという訳です。あの寮で会った青年だねという話しになったのです。不思議にそのときの会話を覚えているのですが、彼に工事を任せると、最後まで残っていて職人が帰ったあと、自分で箒をもって掃除をしている良い奴ですとK-君が説明をしたのです。そういう人物なら、良い仕事をするだろうってわけで、彼を指導してマフラーを作らせることになったのです。勿論、工場なんて持っている訳はありません。小回りがききますので、何でもインドネシア大学の敷地の一角を借りて工場に仕立てたというのです。いつもは現場主義ですから、大抵現場視察をするのですが、赴任したばかりで、猛烈忙しかったため、ついにその工場は見ないまま、インドネシア大学という不思議な印象のみで、その工場がどんなだったかは全くイメージがありません。

 その後の経過は余り覚えていないのですが、三菱自動車から派遣された技術者の指導を受けてマフラーを納めていました。しかし、今度は合弁会社のMKM社でマフラーは内製することに決まってしまいました。折角、生産をはじめた若いダニエル氏から仕事を取り上げなければならなくなりました。そこで、小型トラック用のシート(椅子)をつくらせようということになったわけです。あるいは、シートをつくらせる為に、マフラーを取り上げたのかも知れません。そこら辺は記憶が定かではありません。

 マフラーと違ってシートは本格的な工場が必要です。日本の専門メーカーとの技術援助契約も必要です。ほとんど財産のない若者に工場を持たせる。どうしよう。しかし、マジメさに関してはマフラーで実証済ですし、何としてもこの男を育てなければということになっていったわけです。

 何時の時点だったか、あるいは最初の出会いの時に云ったのかも知れませんが三菱とのつき合い方を云ったことがあります。これは結構厳かに云ったので自分でも覚えています。三菱とつき合うときには、とことん信頼されるようにすべてのことをうち明けなさい。少しでも駆け引き上嘘をいったりしては面倒を見て貰えないよ。しかし、一方ですべて三菱が面倒を見てくれると思って甘えてもいけないよ。あくまで自分のリスクで判断してやることだよとも念を押したわけです。販売店などにも沢山の華僑のひとがいますが、こんなことは全く通じません。彼らから駆け引きを取ったら何も残らないくらい、どんなに親密になっても最後まで駆け引きは残ります。しかし、工場を建てて仲間に組み入れるのに駆け引きをされて、説明にいつも疑心暗鬼になっているようでは工場は動きません。そこで、彼にはそれを求めたのです。いやー根が真面目ですから、ダニエル君は忠実に報告に来るのです。

 普通の日は余りにも忙しくて会社では会えないものですから、日曜などに自宅に頻繁に訪れてきます。最初は手みやげをもったり気を遣うものですから、それもしかりました。こちらもお返しが大変だから止めなさいと、そんなつき合いは止めようじゃないかと云いました。会うたびに自分の生き方などを話して聞かせました。いつも、Yes Sirと真剣に聞いて呉れますし、注意したことは、本当に守ってくれました。

 いくらマジメでもお金がないことには工場は建ちません。あるとき、いくら資産をもっているのだと聞きました。奥さんにやらせているという部品商の借家店舗くらいだと判りました。それを処分できるかと彼の決断を尋ねたのです。驚きましたね。ミスタースズキ、店を売ってきましたというではないですか。それから、彼と共同のプロジェクトがはじまりました。以下次号で書きましょう。

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 今年は柿が豊作です。とても食べきれないので、インターネットで調べたら渋柿でなくとも、干し柿にできる方法がありました。女房が試し干しをはじめました。結構甘いですよ。

 このところのトピックは何と云ってもフォトリーディングの受講です。世の中には凄い技術があるもので、現役時代ほとんど本を読まなかった私がドラッカーなどの固い本に挑戦をしています。スピードがもの凄いのは最初から判っていたのですが、理解力がびっくりするほど高まるのです。3000円以上の分厚い本を読んでも眠くもならず、頭に整理をされて入るのです。知的好奇心と健康法としてフォトリーディングをはじめました。

鈴木富司

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