自動車輸出物語 

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記載日付:2002年6月27日
ライター:鈴木富司
番号:000-0053
タイトル: 自動車国産化法令と実践 その1 
(有楽町そごうのトランク売り場が空になる???)

 タイでは1960年代初めに産業投資奨励法が出されました。インドネシアでは1969年1月確か16日に自動車関連基本法が出されて最初は組立が義務づけられました。漸次部品の国産化に発展していったわけです。今日では、ASEAN各国で自動車の国産化が進み、中には輸出基地にもなっているわけですから、それらの法令を作成し実施させた行政官は鼻が高いことと思います。

 一方われわれは、そういう法令に一喜一憂しながらも真剣にその実行に取り組んできたわけですから、ASEAN地区での自動車産業の発達を見ると秘かな誇りをそこに感じます。特に私は学生時代にわれわれの技術で「アジアに繁栄を」というスローガンを掲げて、留学生とのアジア学生技術会議なるものに没頭し、そのあと商事会社に勤務をしたわけですから、その喜びはひとしおです。

 手探りの法制化であり、政治的な思惑まで絡んでいましたから、実施部隊にはそれはいろいろな笑えない物語がごろごろ転がっています。副題として記載したデパートの有楽町そごうのトランク売り場が空になるなんて物語まで発生をしたのです。

 インドネシアでの組立が始まってからは現場での混乱は大変なものでした。日本側では組立ラインがあり、そこへの部品の供給はそれなりにシステム化されていましたが、インドネシアで組立を行うとなると、最初は国内の組立用の生産システムの中からインドネシア用の部品を例外扱いで集めるわけです。国内なら間違えても電話一本で再手配ができるわけです。それも簡単な通い箱に入れて運ぶだけですから簡単なものです。それが、輸出ともなるとすべて包装紙でくるみ、中箱に入れてそれを頑丈な木箱に梱包をするわけですから、コストもかかるし手間が大変です。輸出手続き、海上輸送、現地通関、現地開梱を経てやっと組立ラインに並ぶわけです。ところが、自動車部品のこまかな物になると右側用も左側用もちょっと見た目では判らないのです。パートのおばさんが、一寸勘違いをすれば、左右12個ずつなければいけないものを左分だけ24個届いてしまうとか、23個しか入っていないとか、いわゆる誤送、欠品問題が起こるのです。

 ボルトやナットは予備部品を持ちますから、まだよいのですがあの数の多い部品を予備で持つわけにはいかないのです。何が起こるかというと、私の自宅に親分の中村チーフアドバイザーから、お叱りの国際電話が入るわけです。明日の飛行機に乗せろと、怒鳴られるわけです。まあ、現地では玉不足で販売店から早く完成車を廻せと督促をされますし、その販売店主はお客に早く車を売れとピストルで脅かされたという状況ですから、怒声が飛び交うのは嬉しい悲鳴でもあったのです。タイのときは、まだ国際電話の回線が悪くて直接怒鳴られることはなく、電報で早く送れ程度で済んだのですが、インドネシアは幸か不幸か電話回線が結構よくなっていましたので、もろに叱られたわけです。あの電話の督促には参りました。あるとき、親分といえども無茶なので、受話器を耳から離して何も答えなかったのです。「あれ、電話が切れたのかな???」って、周りのひとと談笑を始めたのです。そのときあの笑顔をイメージできたものですから、つい仲間意識が復活して「聞こえていますよって」答えたら、また続きを叱られたという具合でした。

 私の部下も大変です。テレックスで届く細かな部品番号をメーカーに伝えたり、集荷した部品を現地に送る手配をしたりするわけです。普通の航空便で送るわけにはいかないから大変なのです。普通に送ったら平気で1ヶ月も掛かってしまいます。ですから、段ボール箱に詰めて出張者に頭を下げて持って行って貰うのです。木材部のひととか、インドネシアに出張するひとを伝手をもとめて頼み込むわけです。インドネシアの税関も大分困ったようです。旅行者の場合に適用する簡易通関の特例を使ったわけですが、ものには限度があります。自動車だけでなく、他の産業でも組立を始めるとこういう追送問題は必ずおきます。各社が段ボールを多用したのです。ついに段ボール箱は旅具として認めないことになったのです。

 さあ、大変。部品が行かねばラインは止まってしまいます。折角市場が待っているのに車を供給できなければ、他社のシェアーが増えてしまいます。しかし、段ボールで託送をすると、空港に差し置かれ、引き取るのに1ヶ月近く掛かってしまうわけです。それは無理のないことなのです。内容を吟味して、通関をするわけですから、名前を聞かれても判らないような部品がぎっしり詰まっている段ボール箱を短時間で通関をさせられないわけです。インボイスを提出したりしていたらそのくらい時間は掛かってしまうわけです。

 鈴木チームの辞書には不可能という言葉はありません。旅行カバン、トランク類を買って工場から羽田に届いた部品を羽田空港でトランクに詰め替えて託送でお願いしたのです。帰りのことを考えて大・中・小のトランクにしたのです。帰りの分まで木材部のひとに頼めないから、仲間で持って帰りました。あるとき私自身そのトランクだったか布製のかばんをジャカルタから持って帰ったことがあります。羽田で係官に開けなさいと言われて開けたのですが、中から、またかばんが現れるわけです。ロシアの人形みたいなものです。「??・・・?? はいご苦労さん」ってなわけでした。最初はジュラルミン製のトランクが綺麗だしよいと思ったのですが、意外にも弱かったですね。先の尖った重い部品が中で動くと穴があいてしまうのです。布製のかばんが一番強かったですね。それでも痛みが激しくて、よく有楽町そごうに部下が走ったものです。全部買い占めてしまったというような、記憶もありますが定かではありません。
 
 次は写真帳の登場です。何のことか判りますか。これもASEAN自動車国産化物語
なのです。

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 昨日今日とちょっと涼しいですね。また長袖を着ています。

 4月から滞在していた娘と孫2人が先週の土曜日帰りました。急に淋しくなりました。それに、4年ほど一緒にいたペットのアメリカンショートヘア(雄猫)が腎不全になり、1週間ほど体調を崩していたのですが、孫が帰ったその夜に逝ってしまいました。悲しいですね。ペットの要らないパートナーシップをカミさんと築くことが重要と教えてくれたんだなんて考えてはいますが、寂しさはどうしようもありません。

鈴木富司
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