自動車輸出物語 

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記載日付:2002年4月3日
ライター:鈴木富司
番号:000-0047
タイトル: あらばん学校

 ジャカルタ暴動を契機にして、三菱自工の「あらばん」というニックネームをもつ荒井齊勇常務さんはインドネシアのプロジェクトに非常に力をいれて下さいました。荒井さんは元々トラックの生産技術出身の方で、板金溶接課長をしているときに、「荒井板金」になり、その後「あら蛮?」になり、親しまれて「あらばん」になったようです。トヨタ自動車の大野副社長さんを尊敬しておられ、日本の生産技術に革命的な変革をもたらしたおひとりです。

 とにかく、現場を大切にする方でした。直接お話しを伺って記憶に残っているエピソードとしては、京都製作所の所長として乗り込んだときに、まずは変電室の電力の使用状況を記録をしておき(始業と同時に電力消費がされていない現場を把握して)会議に臨んだとのことです。そこで、現場の状況を把握していない幹部をこっぴどく締め上げておいて、それから現場の職長クラスにアプローチをしたとのことです。お供をして、ご一緒に京都製作所を訪ねた時に職長クラスとの関係をまのあたりに拝見したことがあります。すでに、京都製作所の所長より、常務取締役生産技術本部長に昇役されていました。どこからともなく、職長クラスのひとが駆け寄ってこられて実に懐かしそうにご挨拶をされるのです。それに対して実に優しい笑顔で応えられているのですが、感動的でした。そこには、怒髪天を突く勢いで幹部社員を叱責するあらばんさんの姿は想像もできません。中村さんと共通したものを強く感じたものでした。

 実は、私も最初の一発、活を入れられた経験があります。ジャカルタでの話です。昼間、プレス工場を視察されたあと、夜は寮でプールサイドパーティーが開かれました。突然、プレス会社の関係者は集まれと大声で言われました。私も自動車ボデーのプレス会社の非常勤取締役をしていましたので、社長さんや技術指導員とともに、並んで立ちました。あの小さな体躯からどうしてこんな大きな声がでるのだろうという迫力でした。延々と40分は続いたと思います。そのときは、技術的な内容であり、余り判らないまま連帯責任という感じておしかりを受けました。

 しかし、現場の作業者に接するときには全く別人になってしまいます。ジャカルタの組立工場を視察したときのことです。現場に座り込んで作業を教え出したのです。インドネシア人作業者の持っているハンマーを手にして手ほどきを示しているのです。そのあとのニッコリ笑う笑顔は最高です。本当にひとを魅了する笑顔でした。しかし、その周りは異様な雰囲気です。何しろパートナーのインドネシア人会長など関係者の最高幹部が背広を着て20人くらいがお供をして、じっと見つめているのです。荒井さんは、現地のバティックというジャワ更紗の半袖シャツ姿で現場に座りこんでいるのです。「車をつくるには、背広なんかいらねーんじゃ」ということが言いたかったのかも知れません。

 私は徹底的に荒井さんに密着してお話しを伺うようにしました。内地ではできないことです。蘭の栽培がご趣味でしたので、ジャカルタにお見えになるたびにいろいろな蘭園にご案内をしました。車の中ではたっぷりとお話しを伺うことができました。お酒がはいるとお小言も激しくなる場合がありますので、皆さん敬遠をされておりました。社外のひとでもありましたので、私がとにかく密着してお相手をさせて頂きました。そのベースには相互に認め合った中村さんに仕込まれた子分ということもあって可愛がって下さったのだと思います。

 後年、この荒井さんから教わった生産技術の革命思想が大変役に立ちました。イランやイラクで国産化について、ヨーロッパ勢に対抗して日本式生産技術を熱っぽく語るという物語があります。これは別途書くことに致しましょう。

 その思想は1982年に本になりました。荒井齊勇著、「あらばん学校」---日本的生産技術の原点---にっかん書房発行、日刊工業新聞社発売です。この革命的な生産技術は世界の自動車産業に大きな影響を与えたものでした。

 インドネシアでの工場レイアウトの決定には荒井さんが細部まで深く関与されていました。少しでも荒井思想に反するものであると絶対に認められません。担当の技術者はずいぶんと困られたと思います。荒井さんのOKをどうやって得るかで、おおいに協議したのも懐かしい思い出です。とにかく、超カリスマですから、いろいろなことが起こりました。あるとき、乗用車の組立許可を得るために、他社が放置をしていた古い建設途上の工場を買収する必要が生じました。ヨーロッパの設計ですから荒井さんの許可などとても取れる工場ではないわけです。まともなアプローチではとても上手くいきそうにありません。そこで、ゲリラ的な方法で、荒井さんを買収予定の工場へ案内をしたのです。工場を設計したオーストリー人技術者のオートナー氏をはじめ現地の関係者に荒井さんの思想を吹き込んでおき、徹底的に荒井方式に切り替えると訴えたのです。現場でOKをとってしまったのです。

 あんなに緊張もし、事の正否にわくわくした仕事に従事できたのは本当に幸せなことです。ひとこま、ひとこまが映画のシーンのように思いだされます。荒井さんは、中村さんと共通の「ある存在」を感じさせる巨人でした。常務取締役を退任されたあと、韓国現代自動車を本当に親身になって指導されました。逸話として聞いた話では、現代自動車の技術者が、「もし、これが毒だと判っていても、荒井先生が飲めと指示をされたら杯を空けます」と心酔されていたとのことです。そういう、逸話の数々の上に現在の世界の自動車産業があるわけですね。昨日、現代自動車がスポーツカーを日本で発売するというニュースを聞いて感慨深いものがあります。

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 女房が丹誠込めている庭の花が、咲き誇っています。私の菜園もようやく芽がでてきました。葡萄にも芽がではじめました。これから庭の手入れにも少し時間を割くつもりです。

 昨日、次女に2番目の子供が誕生しました。5番目の孫ですが、はじめての男の子です。茨木県の友人の産院での出産です。退院後はわが家で静養するので急に賑やかになるわけです。デジカメの被写体がまた増えます。

鈴木富司
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