自動車輸出物語 

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記載日付:2002年3月6日
ライター:鈴木富司
番号:000-0045
タイトル: インドネシアの生産技術がドイツより優秀だったこと信じますか

 さあ、前回イラクからアンマンに逃げ出した物語を書きましたね。それからドイツに向かったのです。大分前の物語で書きましたが、そのイラクへの出張はインドネシア駐在時代に東京よりの指示で急遽出張をしたのです。それが戦争に遭遇して、避難団の団長を仰せつかったわけです。そこで、帰路はかねて見学をしたいと思っていたドイツのバスボデー会社のネオプラン社を訪ねたのです。

 日本のバスボデーの主流は、戦争中飛行機をつくっていた会社が引き継いだものですから、モノコックボデーが多かったのです。フレームは使わずに、ボデー自身で強度を持たせるという飛行機の胴体方式のわけです。これは軽いという利点がある反面、外観をユーザーの要望に応じて簡単に変えるわけにはいかないという不便な点もあったのです。特に、ローカルに合った車体を設計したり製造をしたりすることは至難のわざなのです。それに完成車で運ぶと空気を運んでいるようなものですから、日本製のバスは輸出には向かないわけです。フレーム付のシャーシーを送って現地でバスボディーを架装したいのですが、メーカーさんはモノコックの技術が主流ですから、現地での製造指導するひとがいないのです。

 ドイツでは、ベンツのシャーシーを使って格好のよいバスをつくるメーカーがありました。そのメーカーのひとつがネオプラン社でした。そこと提携するなどして技術援助を得たいと考えていましたので、ヨーロッパの近くまで行った機会にドイツに飛んだのです。安全自動車の金子さんと一緒で、はじめての慣れないヨーロッパを弥次喜多道中をしました。ネオプラン社の技術は、予想どおりだったので、いろいろ将来の提携などについて意見交換をして終わりました。良い機会でしたので、シュツットガルトにあるベンツの工場を紹介して貰い、一般見学コースで乗用車の生産ラインを見てまわりました。これはショックでした。是非自動車輸出物語に記載したいと思い、とっておいた話題です。

 同行した安全自動車の金子さんは、修理工場の設計などが専門ですが、自動車大好き人間で、それもベンツときたら神様がつくった車という感じでした。完全に意見が分かれて、喧嘩というわけではないのですが、大変気まずくなってしまったのです。それこそ、バクダットで戦争に遭遇した戦友にもかかわらずです。私が、「なんだこの工場は、私のインドネシアの工場より、はるかに程度がひくい」と感想というか、怒気をまじえて酷評をしたものですから、「ベンツに向かってなんということを」とムキになるわけです。1980年のことです。無理もないのですよね。丁度、生産技術に革命がおきて、日本の工場が様変わりをしているときだったのです。特に、トヨタ自動車と三菱自動車が革命の中心でした。それがアジアの工場にまで波及しており、インドネシアのプレス工場でも、型の交換に10分を切るいわゆる「シングル」に挑戦をしているときだったのです。私はその会社の非常勤の取締役として、生産技術革命の洗礼を受けていましたから、ベンツの本社工場の実態をみてうなってしまったのです。

 トルコから出稼ぎにきている作業者だからしょうがないとも言えないのです。白人の作業者も、工場全体の雰囲気も、インドネシアでは絶対に見られない光景があちこちあるのです。それは、あまりにも強烈で今でも頭から離れません。連結バスに乗ったわれわれ見学者を、作業中にもかかわらず、ぼーっと眺めているのです。何とボディーの溶接中にタバコをくわえながらやっているひともいました。型の交換など、全く話になりません。計測こそできませんでしたが、30分とか60分でもとても済まないのではと思われる作業ぶりでした。金子さんはインドネシアで「シングル」に挑戦している作業者の表情なり、手順、あらゆる工夫については、全く知識がありませんから、私が指摘するポイントが判らないわけです。ただ、ただ、栄光のベンツ様を批判するとは、それもインドネシア人と比較することなど絶対に許せいという思いだったのです。

 この見学はショックでもありました。余りの現場の惨状に怒りさえ覚えたのです。ドイツの技術者にすれば当然のことをやっていたのでしょう。日本では革命がおきていて、それをそっくりインドネシアに導入して、日夜その研鑚に励んでいた現場から、思いがけずヨーロッパに飛び、異文化を見てしまったので、その文化の違いにショックを受けたわけです。

 随分とよい勉強になりました。異文化というのは、見ておくべきですね。その後、イランやイラクで国産化の提携話があったときに随分と役に立ちました。ヨーロッパの技術と比較して、いかに三菱の技術が優れているかを説明するときに、身振り手振りでそのときのショックの状況を話したものでした。これは、いずれ別の物語で語りましょう。

 三菱自動車で生産技術の神様みたいな荒井斉勇さんという常務さんがおられました。「あらばん」と愛称され、私のてもとに「あらばん学校」という本もあります。いずれ、物語に書きますか、あらばんさんに薫陶を受けたインドネシアのひとたちが私にショックを与えるほど、ベンツを凌駕していたのです。今ではそのベンツが三菱の株主さんという時代です。フランスのルノーにも、日本のJIT研究所の知人が技術指導に行って、大改革をした歴史があります。今はそのルノーから派遣されたゴーン社長さんが日産を立て直している時代ですね。頑張れ、日本と叫びたいですね。 

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 半年ぶりかなー庭の菜園を手入れしました。石灰と堆肥をいれて来週種蒔きをする予定です。

 先週は、面白い人に出会いました。歯痛で近所の歯医者に飛び込んだら歯周病の研究者だったのです。治療の何倍も時間をかけて説明をしてくれます。スカンジナビア学派の系譜のひとのようです。自分の細菌が、水槽のメダカのように泳ぎ回るのを見せて貰いました。

鈴木富司
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