自動車輸出物語 

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記載日付:2002年2月6日
ライター:鈴木富司
番号:000-0043
タイトル: 高度成長期の超多忙はちょっと味が違います(その3)

 日曜日の朝5時ごろだったと記憶します。寮の個室のドアが強くノックされました。丁度洗面所でひげを剃っていましたので応答が少し遅れました。寝坊をしたと中村親分に思われてしまいました。朝から余りご機嫌がよくなくて、言い訳をするどころではありません。

 前の夜は三菱重工本社の輸出部から黒水禮次郎さんが寮に訪ねてこられて夜中まで話されていました。黒水さんは後に三菱自動車の輸出担当副社長になられた方で、当時から存在感のある方でした。どちらかというと、商社に頼らずにメーカー自身で市場の開拓もするべきだとの意見をお持ちでした。一方、中村親分としては、販売は商社に任せ、メーカーとしてやるべきことはしっかりやれという立場ですから、相当厳しいことを直言するわけです。私なんかは、下を向いて椅子の生地にそれこそ「のの字」を書いて時の経過するのをじっと待つという具合です。いまでもその激しさを生地の柄と一緒に覚えています。

 日曜でも早朝よりジープの初号機の検査にジャカルタ市内の工場に一番乗りをしようというのも中村流です。メーカーのひとに厳しいことを言ったあとはなおさらです。作業者よりも、三菱重工の指導技師よりも誰よりも早く工場に着いて完璧さを示すのが意図ですから、寝坊などは許されないのです。日曜のため運転手は休ませ、私がベンツを運転をしたわけです。あいにく朝から大雨で前はほとんど見えないという状況です。未舗装の道路は狭いし、すべるし、助手席にはいつもと違って、口数が少なく口を一文字に結んだ武将のような上司が座っています。怖かったですね、小さくなって運転をしたあの光景は忘れられないですね。
 
 その日はついていなくて、昼頃中心街にベンツを運転して買い物にでたのですが、ホテルインドネシアの前の大きなロータリーでお巡りさんに捕まってしまいました。どうも、罠にかかった感じもありますね。夕方、仕事が終わったあと、こんな日はそうそうなかろうと記念に大きな木彫り像を買いました。すごく手の込んだ塔のようなものです。今でも充実した青年のときの記憶とともに押入に入っています。

 土曜日に中村さんと販売店候補地の視察に行ったのも思い出です。有名な植物園がある隣町のボゴールに設定する販売店の敷地を見ようというわけです。販売店設定の実地教育だということで、私が主体になって質問をせよということでした。質疑などはまったく覚えていませんから、合格をしたのでしょう。道中往復ともに二人ともすっかり眠り込んだことをよく覚えています。余程疲れていたのでしょう。2時間くらい掛かるのに、途中は全く覚えていないのです。二人とも起こされて気がつき、用事が済んだらすぐ引き返して、また車中で寝てしまったというようなわけです。土曜ともなると商社マンはゴルフに興ずるのがそのころの常識でしたがわれわれ自動車屋は違うんだと変なプライドがありましたね。

 ゴルフで思い出すことがあります。商社のサラリーマンとして超大失敗をやったことがあります。ある程度意識的にやったことでもあり、勲章だとも思っていますので、告白しましょう。中村さんと工場を立ち上げる時期より1年ぐらい前の1969年の話です。インドネシアの自動車市場の調査と組立、販売開始の立案のためにひとりでジャカルタに出張をしていたときのことです。

 ある晩、支店長主催の夕食会が中華料理屋で開かれました。本社から役員で「東南アジア監督」という肩書きの偉い人を迎えて駐在員と出張者を集めての夕食会だったわけです。支店長よりよい機会だから現場の声を監督に順番にお話しをしなさいということで、順番に話が始まりました。私は役付きでもなく、まあ、序列は下の方ですから、当たり障りのないことを言うのがその場では順当なことなのですが、発言をするひとが余りにもきれい事ばかり云うものですから自動車軍団としての闘志がムラムラとでてきてしまったのです。それに仕事の面でも問題山積でとてもきれい事をいう気分にはなれなかったのです。いまでいう切れてしまったということでしょう。「この店で常態化している就業時間中のゴルフは自粛をすべきと思います。以上です。」てなことを云ってしまったのです。

 とたんに、大人達の大合唱が始まりました。普段は支店の駐在員自身がひどすぎると愚痴をこぼしていたのに、公に云われると全員が驚愕をしてしまったわけです。顔を見合わせてまずいことを話題に出したものだと呆れかえっていました。散々、ゴルフ必要論が論ぜられたのですが、その内に「お前の所の部長はウイークデイゴルフはしないのか」と云われました。自動車軍団ではとんでもないことですから「致しません。」と自信をもって答えて、あとはじっと黙っていました。あとで知ったのですが、その監督さんと支店長はその日もゴルフをしていたのでした。まあ、英語が得意なその監督さんにとってはゴルフは立派な仕事だったし、自動車部門では、そんなことで商売はできっこないという考えが支配していましたから、思想的な対立とも言えるでしょうね。まあ、後年私の直属の本部長にもなり三菱自動車にも移籍をしたその役員さんにとっては、変な奴と印象づけたことは間違いないでしょう。

 一年後中村親分が身をもって自動車軍団の猛烈ぶりを見せつけたし、あれから30年も自動車ビジネスが支店の成績を圧倒的に支え続けているわけですから面目は保たれたようです。支店長も「鈴木君のオカゲで役員になるのが遅れてしまったよ」と笑い話としてご披露しますが、自動車軍団の業績への貢献は認めてくれました。われわれの労をねぎらうときに決まっておっしゃるセリフで「俺は何が幸せって、中村君の下に配属されなかったことだよ。」というのがありました。何度聞いたことでしょう。そのたびに中村さんは苦笑いをしていました。

 中村さんが一昨年意識が混濁状態になったとき久我山病院の一室で「中村さんこの世でお会いできて本当によかったと思っています。」と声を出して語りかけることができました。ちょっときざですが、こういう超多忙物語を経て築いた本当の人間関係なのです。

 中東も大分収まってきましたので、そろそろバクダットよりの避難物語を再開しましょう。

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このところ忙しくて庭の畑まで全く手がまわりません。

6年前に阪神大震災に罹災したこともあり、地震と火山の研究者を応援する会に属しています。小さな地震は90%以上の確率で予測が当たるのですが、火山と群発地震がデータが少ないこともあり、精度があがっていません。オカミもまだ公式には認知をしていないようです。オカミまでも認めるような大型予測が的中ということでも困るなあと思っています。

鈴木富司

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