自動車輸出物語 

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記載日付:2001年12月12日
ライター:鈴木富司
番号:000-0039
タイトル: 初めての出張とタイ国の様子(その2)

 いすゞの葛野輸出部長にお供をして東北タイへ視察旅行に行きましたが初めての海外の僻地旅行です。あまりにも違う環境にカルチャーショックを受けた数々の物語が思い出されます。

 親分の中村さんはメーカーの人に大変厳しいところがあります。特に現場を重視する考えですから、新任の輸出部長を迎えて異例の視察旅行をセットしたわけです。普通の商社マンですとメーカーのお偉さんが見えるとご接待ずけにするのですが、このときは当時未開の地域と言われた東北タイへの視察旅行を仕組んだのです。

 丁度、応援出張をしていた私に、お供をしなさいというわけです。当時でも西北部のチェンマイは、チェンマイ美人もおり、有名でしたがチェンマイはこれからいつでも行けるからということで、未開の東北タイに行かされました。そういうわけで未だにチェンマイには行っておりません。そう言えば、バンコック市内の有名な観光地も、いつでも見られるからということで、2ヶ月半滞在をしたにもかかわらず、仕事に没頭して行っていませんでしたね。

 さて、人間の記憶も結構あいまいなもので、この原稿を書きながら、どうもつじつまが合わないのです。往復共に車で行ったつもりで書き出したのですが、往きの光景がでてこないのです。その筈で、一気に北部都市のノンカイまで汽車で行ったのでした。バナナを買い込んで、列車に乗り中村さんに見送られた光景を39年ぶりに思いだしました。途中の光景を思い出さないのは夜行列車だったためでしょう。ノンカイ駅のプラットフォームは思いだしますから、朝着いたのだと思います。東北タイの販売店主が出迎えにでていました。

 販売店を視察したあとラオスの国境のメコン川まで行って対岸を望見したのはありありと覚えています。驚いたことに対岸の山の形状が異様な格好をしているのです。子供の頃掛け軸の絵に描いてあるあの山の形がいくつも連なっているのです。丁度、布袋様の頭のようなものが並んで平地に置いてある風なのです。
あの絵は極端に描いた想像画ではなく実在をする景色だったんだと驚いたものです。

 古い仏教寺院も見学できました。そこで昼寝をしている若い僧侶が親戚のひとによく似ているものですから、そう通訳に話したら僧侶と現世のひとをひかくしてはいけませんとたしなめられ、これまたびっくり。何故か、寺院のことよりもそういう文化的なことの方を覚えていますね。

 移動はランドローバーの全輪駆動の小型トラックでした。幸い、葛野部長と私は座席のある運転台に乗れましたが、販売店主と通訳さんは、後ろの荷台でした。まだ、皆若くて元気がよい頃の物語です。その後、その店主はいすゞ車の販売で財を築き、華僑の成功組の大旦那になったわけですから、彼にとっても孫子に物語りたい大変な苦労物語に違いありません。

 通過した小さな町でのできごとでしたが、ここでもカルチャーショックを受けました。荷台の店主が何やら交渉をしているのです。通訳さんが意味ありげに解説をしてくれました。若い女性を女中として連れて帰る値段の交渉をしているというのです。「それって、人身売買!?」東北タイは貧しいとは聞いていましたが、目の前でそういう光景に接した20代の私にはこたえました。幸か不幸か、値段が折り合わず、車はそのまま発車しました。もし、本当に、買われた女性が親にも別れをつげず、荷台に乗せられたらと思うと複雑な気持ちでした。

 次の地区の販売店にたどり着くのが大変でした。道は相当の悪路ですし、夜中の2時頃どうしても見つからないまま、宿屋に入りました。そういえば、あれが最初の田舎の宿でしたね。その後、世界中のすごい宿を泊まり歩きましたからね、イラクの地方都市のトイレの汚さは想像を絶するものがありましたが、それから比べればどうってことは無かったのでしょう。特に覚えていませんから。

 バンコックに帰ったとき、通訳のピヤラット氏がピストルを見せて、護身用に持っていったんですよと説明をしてくれました。事前に見せると怖がるからとからかわれました。実際、東北タイはゲリラもでる危険地帯だったのです。大分経ってからですが、中村さんも怖い思いをしたとのことです。警官が突然車に乗り込んできて、密輸者を追跡しているから、車に乗せろということがあったそうです。自動小銃の銃口が中村さんの首に触れるような形で、車が揺れるので怖い思いをしたという話をきいたことがあります。

 怖い話と言えば、いすゞ車を陸送中の運転手が強盗にトラックを奪われて山中の木に縛られたところを虎に襲われて半身を食われたという話があります。これは、確か岩井駐在員の報告書で読んだ記憶がありますし、初期のころの苦労話としてよく出た話です。

 そういう、怖い地域をやっとの思いで走破して、中部のコーラートに到着しました。そこでバンコックから陸送してあったいすゞベレル乗用車に乗り換えました。そこからは、米軍が建設したというフレンドシップハイウエイです。連続して100キロ以上の速度で走れる高速道路です。そのころは、日本には高速道路はありませんから、はじめての経験でした。爆撃機が着陸できるように道路の両脇が広場になっているというのも珍しい光景でした。いすゞのトラックが米軍用の燃料や弾薬を積んで高速で走る姿を頼もしく眺めたものです。特にいすゞ本社から視察に見えた葛野部長にお見せするには格好な光景でした。こういう自負があるので過酷ともいえる視察旅行をセットできたのだと思います。

 さて、しばらくの高速走行を終えてサラブリに入りましたが、それからが難関でした。バンコックを目の前にして、書き残す物語があるのです。それは次回に致しましょう。ナイトクラブの話とともに次回のお楽しみにということにします。

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 年末といえば毎年、年賀状に相当時間を割きましたが、今年は止めることにしました。とても負担なのです。これから歳を重ねますといつかは止めるときがくるわけですし、考えを変えました。もう、残り少ない人生、一方でやりたいことは日増しに増えています。それなりに考えた結論です。

 昨日古武道の和良久のあと忘年会がありました。実に気分のいい仲間の集まりです。小学校で和良久を教える時代が来て、争いを相手が起こさなくなるような世の中を築きたいとか、いろいろ抱負を述べ合っていました。その仲間の中に手相を見るひとがいましてね、私の手相は芸術家だというのです。それも自分では自覚をしていないで、年老いて突然芸術活動を開始すると予言めいたことまでいうのです。これには驚きましたね。

鈴木富司

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