自動車輸出物語 

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記載日付:2001年10月17日
ライター:鈴木富司
番号:000-0035
タイトル: フランス製大型コンピューターで価格のシミュレーション

 私がコンピューターに目を開いたのは1962年、それもバンコックに出張している時でした。売掛債権を手作業で把握するのが限界になっており、IBMのパンチカード・システム(PSC)を導入するために事務機械部の柴田次長がバンコックに出張されました。その折りに黒板を使ってコンピューターとはという講義をしていただいたのです。IBM社も訪問しました。支社長がプラスティックに封入されているコアメモリーのサンプルを誇らしげに指し示し、この発明が世の中を変えると説明をしていたのを印象深く記憶しています。それは当時では画期的な記憶素子だったのです。

 それから間もなくバンコックでいすゞの売り掛け債権管理にPCSが導入されたのですが現地でいすゞの販売を担当していた中村さんは随分とご苦労をされたようです。事務機械化部より専任者の蓮田君が派遣されてのですが、中村さんご自身も基盤の配線を勉強されたり苦闘されたようです。当時は一部でコンピューターが入れば何でもできるという考えがあったものですから、中村さんも困ったわけです。実態を知らないでコンピューターに任せなさいと言われて随分と不満だったようです。実際PCSは限界のある手間のかかる機械だったので万能などと言うのは全く見当違いだったわけです。私自身はPCSは全く扱ったことはありませんでした。

 私がコンピューターを実戦に使ったのはすこし後のことです。それでも1965年だったと記憶します。三菱商事がフランスのブル社より導入したガンマ60という大型コンピューターを使って価格のシミュレーションを行ったのです。何しろその機械はビルの半分くらいの床を使ったとてつもなく大きな機械で当時世界でも最先端の機械だったと思います。それを動かしていたのが寺尾直衛氏でした。日中はフランス人が教えた売上管理の事務処理に使われていましたが、夜になると動いていなかったのです。高価な機械がもったいない限りです。空いているわけですから使ってしまおうということになり、寺尾氏とすっかり意気投合をしましてねくわだてをしたわけです。彼は機械の能力を試したいとの好奇心があり、私には
生来の道具好きと価格計算で課長より難題を課せられていたからです。

 当時いすゞとの価格の取り決めは売価よりの逆算方式でした。売値より組立費などの経費を引いていき、取り決め済みの口銭率を差し引いて、いすゞとの仕切価格を算出して決めましょうという取り決めです。現地の中村親分からは毎日のようにいすゞとの価格交渉を早く妥結しろと督促を受けておりました。担当ベースでの交渉は限界にきており、課長同士の妥結を実現せねばならないわけです。上司の岩井芳郎課長は豪快なのですが、繊細なところもありましてね、資料を慎重に準備したいわけです。
「鈴木君、組立費をもう500バーツ上げたらどういうことになるかね。」という具合に何度も再計算を指示されるわけです。機種も複数ですし、組立費や輸入税やら変動費目が沢山ありますから大変なのです。いろいろなケースを言い出したら無限大にあるわけです。そんな計算いちいちやっていられないようなんて言えませんからね。

 そこで寺尾氏に相談してこういうインプットデーターを入れてこういう
アウトプットをつくって欲しいとシミュレーションをお願いしたのです。まだ、電卓もなく算盤か手回しのタイガー計算機の時代ですからね、コンピューターをこういうことに使うのは日本でも早い方だったと思いますよ。そのコンピューターの基本のシステムはALGOLと言って科学計算に開発されたものでビジネス界では馴染みの薄いものだったようです。寺尾氏はフランス語のマニュアルを解読して使用方法を研究していました。確かそのシミュレーションをするのに1500ステップのプログラムを組んだと言っていたような記憶があります。今ならパソコンで私にもできる内容ですが、当時は本当に大変なことでした。徹夜を何度もやってアウトプットを出してくれました。結果は見事なものでした。車の機種別に2〜3センチの厚さの書類になりました。得意だったですね。課長の机の上にぼんと置いて、さあお望みのケースをご覧下さいと大見得をきったわけです。

 課長も喜んでくれましてね、早速それを持っていすゞにお供をしました。相手はどなただったかなあ、もっぱらそのシミュレーション方法が話題になり、難しい価格交渉も妥結したという物語です。その時のことを勝手に再現すると「商事さんって凄いなー、こんなこともやってしまうんですね。」てなことで課長クラスの間での価格交渉が解決するよき時代でした。役員や部長クラスが会うのは料亭ですからね。

 実はその寺尾氏は当時三菱商事の副社長をされていた寺尾一郎氏の甥だったのです。ブル社の大型コンピューターを導入したものの、動かすひとが足りず、日野自動車より引き抜かれて商事に入社したという経緯がありました。ガンマ60が営業の実戦にも役に立ったとおおいに社内で面目をほどこした訳です。その後も、彼は産業連関表の作成など最先端のコンピューターを利用したマネージメントサイエンスなど随分と研究と応用を手がけておりました。内容は難しくて判りませんでしたが科学技術に関する広範な知識に興味がありましたので、ずっとお付き合いをしていました。そんなご縁でお互いに会社を定年になってからも交際は続き、彼が次々に手がける新技術の開発の話やら商事時代の回顧談に興じておりました。

 そう言えば、私が自動車を離れてテーマパークの世界に入ったのも彼の取り持つ縁だったなーと感慨に耽っております。何故か彼は最近のパソコンには目もくれず、再三お誘いしたE-メールの交換もしないんですよね。ブル社のガンマ60の話になると目を輝かせて昔話に興じるのには彼なりの哲学があったようでした。この次は私のアイデアがお役に立ってガンマ55というコンピューターを自動車輸出に利用した物語を致しましょう。

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 36年もつき合ってきた寺尾直衛氏が月曜日に突然亡くなりました。知らせを受けて涙が止まりません。人の魂とはどうなっているのであろうと仲間の吉家重夫氏が構築した内在者理論を思い出しながら悲しみに耐えていました。内在者理論はhttp://www.moment21.com/shinri/naizaisya.html 
に紹介されています。どうやら、寺尾氏は私の心の中の内在者としては、巨大な存在だったようです。その喪失感が涙になってあふれてきたと思われます。その理論では、仏教でいう供養の効能も説明しています。その教えに従い彼のイメージを改めて思い出して心に焼き付けています。そうすることにより、私の中で彼に生き続けて貰いたいのです。納棺前に彼としばらく二人だけで対面しました。貴方と会えて良かったと、言うこともできました。メモを取りだし彼の前でこの物語の原稿を書くこともできました。それでも、これから寂しさが襲ってくるのだと思います。  合掌

鈴木富司

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