自動車輸出物語 

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記載日付:2001年9月19日
ライター:鈴木富司
番号:000-0033
タイトル: 中村チーフアドバイザーと泥棒の知恵比べ

 「すーちゃん、必ず売りに現れるから、心配いらないよ」と平然としていた中村親分も、推定した日が過ぎても泥棒からの連絡がないので少し心配になったようでした。インドネシアでの三菱コルトの組立が開始された頃、出張してお手伝いをしていた時の物語です。タイ国での経験で、部品が大量に盗まれたときには、必ず売りにくるというのです。後で判ったことなのですが、コルトに使われていたジェネレーター(車載の小型発電器)がそっくりオペルの中古車に使えたようです。当時オペルは乗り合い自動車に改造され、オプレットという愛称で街道筋での庶民の足になっていました。それが、老朽化で徐々にコルトに変わりつつあったわけです。老朽化と言っても本当に使い切っていますから、発電器まですり切れてしまいます。その代替部品としてコルトのものがそっくり使えるというので、大量の需要が発生したわけです。ですから、売りに現れないのです。そういうわけで、組立用の部品が集中的に泥棒に狙われたわけです。

 最初の対策としてはエンジン4台を箱詰めにするときに、発電器の位置を内側にして貰いました。何故なら、港に保管されているときに、泥棒さんは発電器の位置を判っていて箱の側板に穴を開けて、器用に発電器だけを取り出してしまうからです。暗闇の中で、何段にも積まれている大きくて重い梱包箱の側板に穴を開けるのです。まるで、印がついているように正確に場所を特定して穴を開け、手を突っ込み、しっかりとエンジンに組み付けられている発電器をはずしてしまうのです。まさに、神業です。

 位置替えで若干は盗難が減ったのですが、また発生をするようになりました。組立工場では、発電器のない車がずらーと並んで出荷できないのです。連日中村親分から国際電話が掛かり、あの重い発電器を飛行機で送りました。普通の空港貨物で出すと時間がかかるので、旅行者に託送するわけです。何とか、対策をしなければというわけで、木製の梱包箱の内側に鉄板を張る実験もしたりしていました。

 ある時、中村親分の国際電話の声が笑っているのです。茶目っ気のあるあの柔和な顔が浮かぶような話しぶりなのです。いつも、追走品はいつ送ったのだと殺気のある声で迫るのとは違うのです。泥棒の親分と話をつけたというから驚きです。こういうのはハードの対策ではダメでソフトで対策しなければダメだと勝ち誇ったような言いぶりでした。あれほど、梱包箱を工夫せよと厳命をしたひととは思えません。

 それでも、その勝ち誇った自慢話をきくべく話を向けましたら、ジャカルタ郊外のタンジュンプリオク港を縄張りとする泥棒の親分と話をつけたというわけ。1ヶ月間盗難事故が発生しなかったら、謝礼を払おうということにしたら盗難がぴたりと止まったというのです。「泥棒も食わねばならないからね。」と嬉しそうでした。まさか、港で全部の盗難がなくなったわけではないんでしょうねと聞いたら、「勿論、三菱車だけだよ」との答。なるほど、他社のラインが止まって三菱だけが生産ができるのか、と大変な競争関係にある他社への影響までを意識して電話を切った記憶があります。

 「もし、もし、すーちゃん。俺まいっちゃたよ。また、やられたよ。」って、国際電話がかかって来ました。何でも、話をつけたのは港を縄張りにしている泥棒の親分との話だったので、港を出たら別だというのです。こんどは、荷物を積んだトレーラーが港を出てすぐのところで、自動小銃をもった一団に狙われて部品を盗られたというのです。「縄張りの外だから、文句も言えないしなー」と残念そうでした。その後、どういう対策を採ったか聞きたいでしょ。凄い手なのです。それは長くなるから次回にゆずりましょう。

 とにかく、中村親分は自分でも車に乗っているときに泥棒にやられた経験を持っていました。腕にはめていた金側のローレックス腕時計をもぎり盗られたのです。怖かったと思います。そういえば、このときも港の近くなのですが傑作な話があります。

 有名なジャカルタ市長主催の自動車ラリーの大会があったのです。まだ、モータリゼーションがおこる前の話で、満足な車もない頃です。三菱の代表として三菱商事の支店の若い駐在員が出場することになりました。ラリーですから、ポイントごとの予定時間をいかに正確に走るかを競う競技です。ですから、最初にゴールしても勝者になるわけではないのです。しかし、中村親分は考えましてね、「おい山村君、とにかく突っ走れ、全速力で走って最初にゴールしろ」と厳命をしたというのです。案の定、競技規則など知らない記者が群がるゴールに最初に到着したから、三菱が一位だと大騒ぎでした。翌日の新聞には三菱一着とでてしまったのです。何とか三菱車を有名にして売り込もうと真剣になるとこういうアイデアも浮かぶのでしょうかね。その、表彰式に得意満面で出席した帰りに、踏切で止まっているときにやられたようです。港の近くの危ないと言われた地域でしたが、表彰式で気分が高揚して警戒を鈍ったのかもしれません。

 「これから表彰式に行ってくるね」というのも、国際電話。そのあとローレックスをやられたよーっていうのも国際電話だったように記憶します。昨年7月に亡くなられてもう1年が経ちました。このごろ、何かにつけて思い出しております。

 なお、この物語は30年前のことです。現在は、こんな怖い話はありません。

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