自動車輸出物語 

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記載日付:2001年9月5日
ライター:鈴木富司
番号:000-0032
タイトル: ファントムの猛爆の経験って貴重ですよ

 6年前に神戸の東灘区で阪神大震災を経験した直後、イラクのバクダッドでの戦争体験と比較して、テレビに投書をしたことがありました。正直申し上げて神戸での経験の方が怖かったのです。実態はバクダッドの方がはるかに危険だったのでしょうが、気がはりつめていたこと、家族はインドネシアに置いての出張だったこと、それに何と言っても情報不足で実態を知らなかったことから口の中がからからに乾くような恐怖は感じないで過ごす結果となったのです。

 湾岸戦争ではなく、1980年のイラン・イラク戦争が始まったときに、バクダッド支店の事務所におりました。その瞬間は、威勢のよい大統領演説と騒然とした戦闘意欲に満ちた現地職員に囲まれて、えらいことになってしまったなと不安を感ずる程度でした。出張仲間とホテルに引き上げたその日か、あるいは翌日だったか夕方、対空砲火がはじまりました。それは、凄い音でした。まだ、日没前でチグリス川に夕日が沈む前でした。とぎれる間もなく、轟音が全天空を覆いました。しかし、一向に機影は見えませんでした。ですから恐怖感が沸かなかったのでしょうね。マジに練習と思いこんでしまったのです。その内に外が暗くなってきますと今度は轟音だけではなく機関砲の弾のあとが光って全天が火の海なのです。その中に、どうもロケット弾らしいオレンジ色の綺麗な光跡が見えるようになってきました。急に角度を変えたりしながら進むのです。遠くで火災も発生していましたから、これは訓練ではないかもなと思いはじめました。

 実は、7階のベランダに出て、仲間と「たまー屋」なんていいながらウイスキーの水割りを飲んでいたのです。何しろ何時間も続くし、日没が実に美しかったしね。その内に、機関砲の実弾の風切り音が聞こえてきましてね、例のぴゅーんという音です。直ぐ近くで聞こえたのです。こりゃいけねーというわけで、部屋の中で飲もうやとベランダは止めにしました。中近東でもイラクはお酒はご法度ではないし、他に気を紛らわせることは何もないのでお酒ということになったのだと思います。外出することも、テレビも見られないし、何も情報が入らないと怖いものが無くなるのです。心配してもはじまりませんから。

 翌日になって、いろいろなことが判ってまいりました。やはり、実戦の空襲だったのです。それもイランからファントム戦闘爆撃機がやってきたというのです。駐在員の自宅の真上を超低空でファントムが飛び、そのジェット機の排気ガスが屋上の通気口にあたり、家の中に熱い排気が飛び込んできたという怖い話も聞かされました。何と、わがホテルの真上もファントムが飛び交っていたようなのですが、速すぎて見えなかったというのが判ったのです。やはり、B29の空襲の経験があると判断を誤りますね。昔の爆撃機はよく見えましたからね。

 いろいろな思い出がありますが、翌朝会社に行く途中でも空襲警報が鳴り、走ったのです。機長が持つような大きな四角いカバンに資料をどっさり入れていましたから、重いのです。それに気温も47度くらいだったかも知れません。歩道が熱くて照り返す中を走ったものですから、心臓が飛び出しそうになりました。軍隊が出ていて早く早くとせき立てるのです。やっとの思いで事務所に着きましたら、口も利けないほど心臓がぱたぱたしていました。それが、空襲警報の恐怖感だと思われるのがしゃくでしたね。日本男子たるもの、それも我が輩はB29も経験しておるのだぞと言いたいのに、はあはあして倒れそうなのです。本当に恥ずかしかった。実態は生死に関わる危険な場面だったのに見栄を張るなんて不思議なことですね。わざと事務所の屋上に上がって眺めたり、怖がる現地社員に良い格好を見せたかったのと、本当に見たいという野次馬根性もありました。

 次の空襲のときに、実機を見ることができました。何と、4キロくらい先を豆粒みたいに小さな物体が、猛烈な速さで飛行していました。それより、手前を飛ぶ飛行機は偶然顔を飛行方向に振って見ない限り見えないということが判りました。何と50メートル先を飛んでいるファントムを見ました。これは大きかったです。機関砲の先から火を噴いていました。近くの目標を機銃掃射していたのです。それを迎え撃つ対空砲火は凄まじいものでした。弾幕を張って落とすという感覚です。その物量の多さに圧倒されました。流石産油国と、変なところに感心したものです。

 その空襲の続くバクダッドを脱出する時が来ました。予期していたことでしたが、支店長からバスによる避難団の団長を仰せつかったのです。途中で1週間くらい野宿をするかも知れないという情報も入っていました。出国ビザのない病人を連れてどう国境を越えるかという難問をどう解決するかは次号ですね。「43冊のパスポートは重かった」をご期待下さい。

 2万台の乗用車を売るために出張中に遭遇したことがらですので自動車輸出物語としても良いと思っています。

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