自動車輸出物語 

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記載日付:2001年6月13日
ライター:鈴木富司
番号:000-0026
タイトル: 酸素ボンベを持って販売店調査

三菱車のペルーの販売網を再生せよとの指令を受けて仲間のベテラン3人と43日間長期出張をしたときの物語です。中村敬止本部長は一旦ことを起こすときは果敢に奇手を打ちます。このときも、急遽二十数年の経験を持つベテラン3人を派遣しての、厳命でした。全く、判らなくなってしまった現状を把握して、パートナーとの信頼関係を構築して、将来の展望を描けとの課題でした。三越で上等な盆栽を購入して、パートナーに届けるようにとの細かな指示もありました。

現地に飛んで、最初の仕事は相互に疑心暗鬼になっているパートナーとの信頼回復でした。私がよく使う手なのですが、daily meetingの提唱でした。用があっても、なくても毎日会いましょうという提案です。相当こじれた関係でも毎日会って、誠意をもって話を続けると打開策が見つかってくるものです。特に、疑心暗鬼の間のときは、隔日とか一週間おきという具合に間を置いてはいけないのです。それは、思惑もありますから、いろいろ言いますよ。結果として嘘にもなります。それを咎めていたのでは、解決になりません。毎日会っている内に、いい加減なことも言えなくなるのです。「明日」というのは、「今日ではない」という意味で、日本語の明日の意味ではないと悟るには年期がいるかも知れませんがね。

在庫車の把握のために、全員で作業衣を着て1台ずつチェックしたのも思い出ですね。何とか、現状把握もでき、パートナーよりは今後の展開はこちらに任せるとの同意も得ることができたので、販売店網を築く中村流の作業を始めたわけです。ベテランの浅尾君は、もの凄い緻密な資料を作り上げたり、私は本社の中村親分に報告をしたり、いろいろ手分けをして作業を進めました。

いよいよ、販売店候補の調査です。いろいろな国で調査をしましたが、酸素ボンベ持参は初めてでした。出発前に、支店長から注意があり、峠では絶対に車を降りてはいけないと言われて出発しました。何しろ4千メートルを超える峠をギャランで登ったのです。何と、峠のあたりで踏切があり、偶然にもディーゼル機関車に引かれた列車に遭遇しました。富士山より高いところを列車が走るとはと感慨深い思いをしました。峠の近辺で小休止をしたのですが、山登りの経験のある浅尾君は気軽に車の外を歩いているのです。私も支店長の警告を勝手に無視して、車の外に出ました。数歩も歩かないうちに、動けなくなりました。帰国後、アンデス・ウオークと名付けたのですが、2本の足と、2本の手を動かすときは、1本ずつにしないと、息が切れてしまうのです。何年か前に肺炎を患ったときに、同じ経験をしました。

峠を越えて車は下りになったのですが、一向に気分はよくなりません。漸く目的地についたのですが、まだ3千メールあるというのです。道ばたの学校では、サッカーをやっていたのが、印象的でした。いよいよ、販売店候補の店に入り、2階の事務所の階段を上る苦しさは、いまでも覚えています。相手の顔も建物の外観も殆ど覚えていませんが、椅子に腰掛けて顔を上げられない自分の姿を覚えています。とにかく、苦しいのです。とぎれとぎれに、質問をしては、あとはじっと下を向いて苦しさに耐えるわけです。肺活量も少なく、特に高地に弱い私だけの特別症状かもしれませんが、酸素ボンベを吸っても何をしてもダメでしたね。レストランだか、販売店主の家だったか、ウイスキーを勧められたのは、覚えていますが飲む勇気もなく、ただただ、身体を動かさないようにじっとしていました。

帰りは、またあの4千メールの峠を越えねばなりません。後部座席で、死んだように眠っていました。ところがです。ある高度に下がった途端に、全く普通になってしまいました。あの、激変には驚いたものです。

車屋は、道路調査、販売店調査、工場敷地調査などで、随分と地方を走行するものです。ナイジェリアの奥地、モロッコの一周、北部イラク、などなど。しかし、ペルーでの砂丘の美しさと、このアンデス越えは忘れない一こまです。

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