自動車輸出物語 

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記載日付:2001年5月30日
ライター:鈴木富司
番号:000-0025
タイトル: ヨーロッパの一匹狼の技術者って凄いマルチ

日本の技術者は優秀ですし、集団ではすごい力を発揮しますが、何でも独りでこなすという訓練は余り受けてないようです。一方、われわれは採算を考えますからそれほど高度な技術を要しない分野では、独りで何役もやってくれる技術者が欲しいわけです。それこそ、板金から塗装、組立まで独りでこなす技術者を派遣して欲しいと何度も要請をしましたが、とても無理な話でした。

しかし、ヨーロッパ系の技術者では、いるんですね。そういう人が。本当に驚きました。インドネシアでは、二人ほどそういう人に出会いました。日本のメーカーにとっては驚きの物語です。商社だったので、そういう人を採用して活用できたのかも知れません。

ある時、7年間も建設が中断していた組み立て工場を見つけました。何でもGMが昔工場を建設しようとして何かの理由で立ち消えになっていたものでした。当時は、新規の組立ライセンスは認められていませんでしたので、その工場を再開発して、念願の乗用車進出を考えたのです。港に隣接していたので、ボートをチャーターして海側から写真を撮らせて、まず実態を把握することから始めました。

いろいろ調べるうちに、何とその工場を設計して途中まで建設をしたというドイツ人が現れたのです。オートナーさんという人でした。英語も、インドネシア語もペラペラで、永年住み着いているようでした。そのときは貿易商をやっているということで、本当に技術者なのかと思ったくらいです。しかし、工場について質問をすると実に詳しい。何も書類を見なくてもすらすら回答するのです。建家のことも、塗装設備のことも滅法詳しいのです。建物も自分で設計して組み上げたが、何ミリのボルトが調整せずにすぱっと入ったよなんて自慢しているのです。

丁度、日本から生産技術の神様みたいな荒井常務さんが視察に参りましたので、そのおばけ屋敷みたいな工場に案内をして説明をしたわけです。どうやら、オートナー氏も面接で合格なんですね。話が進み、彼を連れて水島工場に打ち合わせに行ったのです。相変わらず、ほとんど資料を持っていかないのです。日本側は生産技術の技術者がずらーと並びいろいろな質問がでるわけですが、どこそこの隙間は何ミリだというような、寸法をことも無げに回答するのです。その内に前田さんという技術者が笑い出してしまったのです。一瞬、その意味が「嘘付け」という意味なのか、「お主できるな」という意味なのか判らなくて慌てたことを覚えています。幸いにも後者だったのです。

結局、荒井常務さんから、あの工場はオートナー氏と鈴木に任せておけ、途中で余計なことを言うなと厳命がでたのです。一応完成してから三菱流に修正しようということになったわけです。いやー驚きましたよ。それからというもの、ジェネコンと打ち合わせて建家を完成させ、ドイツの塗装機器メーカーから据え付け技術者を呼び、7年も箱詰めのままの機械を組み上げて、乗用車用の組立工場を何とか完成をさせてしまいました。開所式を目前に控えて、地下タンクに潜り、一緒に掃除をしたのを覚えています。

彼は輸入実務もよく知っているし、ジャカルタのどこで、どんな部品が売っているかも実に詳しいのです。ブロックを作る機械を持ち込んでつくったり、井戸を掘ったり、フォークを運転したり、溶接までこなすのです。工具の使い方までインドネシア語で指導しているのです。時には、図面も見ていましたよ。塗装設備の細かなドイツ語の図面を読んでは、国際電話でドイツ語で叫んでいましたね。懐かしい思い出です。

もう一人はイギリス人のチャドウイック氏で、バス工場やバス自体の設計からボデー架装、更に椅子の縫製までやってしまうのです。日本のメーカーに依頼したら、何人の技術者を送ってくるでしょうね。それが当たり前とすべての人が思いこんでいることが問題なのです。ヨーロッパ人には、そういうマルチ人間で、海外勤務をする人が育てられているのです。地場のバスボデー工場に世話をしたのですが、待遇が余りよくなくて苦労をしていたので、よく自宅に招いて慰労をしたものです。

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