自動車輸出物語 

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記載日付:2001年5月4日
ライター:鈴木富司
番号:000-0023
タイトル: まる一昼夜の緊張した交渉

インドネシアでの三菱車の事業のパートナーであるサルノビサイド氏とは個人的にも随分と深いお付き合いを頂きまし。大変頭の回転が早く、服装や持ち物のセンスが抜群に優れたひとでした。いろいろな思い出が頭をよぎります。気性の激しさでは、わが親分の中村チーフアドバイザーとよい勝負でした。

お迎えの車はホテルオークラハイヤーのリンカーンコンチネンタルで、運転手さんはチャーリースズキさんという具合にご指名されていました。銀座のクラブや赤坂のナイトクラブをはしごして遊ぶときの相棒は私の役割でした。30代のインドネシア・プロジェクト班長の重要な務めだったのです。同氏が滞日中は連日夜中までお付き合いになりますので、四女が生まれた時は、産院に駆けつけたのも数日経ってからだったと記憶します。そんなわけで、女房が産院に往くのも帰るのも独りでタクシーを依頼するというように、亭主の居ない悲哀を味合わせてしまいました。

ある時、同氏が現地での株主総会を途中で退席して日本に向かったとの緊急連絡を受けました。相当激怒しているとのことでした。私の上司の林部長はシンガポールに出張中であり、全て対応せねばならないと腹をくくってホテルに出向きました。いつもは遊び相手ですから粗相がないように気を付けるだけでしたが、その時はもろに仕事の面で対決する関係ですから大変緊張しました。何しろその問題が決裂すれば、折角築き上げた市場から一瞬にして閉め出されることを意味するわけですから生やさしいものではありませんでした。それに、問題がこじれた原因が、双方の間に生じた大きな誤解によるものだったのです。

おそるおそる、怒っている理由を尋ねました。合弁で建設したプレス工場で中型バスのボデーをすぐにも製造せよということでした。どうも、同氏の部下より工場を建てればすべてのボデーが製造できると説明を受けておったようなのです。大臣にもすぐにも生産に入ると約束をしてしまって、今更出来ないなどとは言えないというものでした。こちらの理解では、国産化の義務の法令も出ていないのに、他社に先駆けてプレス工場を建設、徐々に教育をしながら品目を増やしていこうというものでした。経済合理性を超越して、真剣にインドネシアの自動車産業の健全な発展に寄与しようという真面目なものでした。それを、いきなり全部現地生産を始めよと言われても出来ないことは出来ないものであり、プレスの物理的能力から言っても、精々小型トラックのリヤーボディーを生産するのが精一杯だったのです。勿論、役所への手続き上も問題ないとの了解でした。

何しろ気性の激しいひとですから、この大幅な食い違いを埋めるのは並大抵のことではなかったのです。二人きりでホテルで協議をしたのですが、平行線でした。三菱は出来るのに日本から輸出を続けたいので現地生産を厭がっているとの思い込みがあるわけです。そこで、提案をしました。翌日東京を発って、水島工場を視察して欲しいとお願いしたのです。同氏の豪華なスイートルームに泊まり込んで翌早朝に水島に向かいました。ジャカルタの工場に据えたプレスは400トン1基だけであり、とても自動車工場とは言える規模では無いことを認識して貰おうとしたわけです。

さすがに、頭の切れる人でしたから、三菱自工の水島工場のプレス工場に足を踏み入れた途端に理解をされたようでした。何しろ1000トン以上のプレスが、先が見えないほと並んでおり、轟音を響かして稼働をしていました。「俺達の工場のプレスは何トンか」との質問がありました。「400トン、1基だけです。」と答えましたら、それっきりでした。帰りの新幹線の中で両手を握り、ありがとうとお礼を言われました。今後とも、お前の言うことは信ずると迄言われたのを覚えています。

夜遅くホテルに着いてからタイプライターを借りてきて、両者の合意事項を纏めて署名を求めました。法務部のチェックもされていませんので私の署名権限はありません。言いづらいことでしたが、合意事項は部長の同意条件つきという誠に不都合なメモランダムに仕立てたのです。それでも気持ちよく署名をして、いつもの笑顔に戻っていました。その場でジャカルタに電話をして貰い、株主総会を再開するように手を打ったわけです。交渉を開始してから24時間を超えていました。世界中でいろいろな交渉を経験しましたが、このときのように緊張が続いたことはありませんでしたね。

サイドさんと中村親分との緊張関係は、上記の事件以上に凄いものがありましたし迫力もありました。しかし、両雄も事業を通して相互に理解を深めたようです。相互に力量を認め、中村さんの送別会の時には涙の抱擁でした。二人とも、今は天国に行ってしまいました。インドネシアの自動車産業の発展を誇りに思いながら、私のこの物語を苦笑いしているに相違ありません。

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