自動車輸出物語 

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記載日付:2001年2月21日
ライター:鈴木富司
番号:000-0018
タイトル: 寝耳に水のルピア切り下げ物語

輸出屋にとって外貨の変動は大変なことなのです。インドネシアに駐在をして、三菱車の輸入、組立、販売に従事していたときに、突然通貨の50%切り下げが発表になりました。これはやはり物語になります。その政府のやり方も見事だし日本人には想像もできない世界でした。勘ぐれば米国と日本の戦争だったかも知れません。その中で右往左往しながらも、何とか切り抜けた物語です。

忘れもしないと書きたいところですが、日にちは忘れてしまいました。また、細かな数字も忘れています。億ドル単位のドル債務があるのに、ある日突然、ルピアがドルや円に対して50%も切り下げになった事態とお考え下さい。国産化もそれほど進んでいない時期でしたし、輸入資材に大きく依存をしていましたから、ルピア建ての販売価格を大幅に引き上げて対処しなければならないわけです。しかし、そう物事は簡単ではありませんでした。

当然、需要が激減しますので日本側での手配を止めたり、現地工場での組立の停止なども緊急会議を開いて指示をしたわけです。社会全体が騒然となっていました。経営を預かる身として、どれだけの損失につながるかの計算をする必要がありました。急を要しますし、重要なことがらでしたので、自分でやることにしました。別室にこもり独りで電卓片手に格闘をしました。殺気だっていたと思いますよ。丁度、大学入試の数学の時間のような緊張感でしたね。集中しながら、自分の心に落ち着けと何度も念を押すあの瞬間、瞬間です。大分夜遅くまで掛かったと思います。目処をつけたというか、これだけの在庫があり、債務があり、どれだけ損をしたか。今後どれだけの値上げをすればそれをカバーできるかなど、いろいろなシミュレーションを行ったわけです。

続々とニュースが入って来ます。政府が生産を止めては行けないと発表したというわけです。現地の役員のなかには、逮捕されたら大変とばかり、真剣に組立の再開を主張します。やむなく、ラインは動かすことにしました。ところがです、今度は一切値上げをしてはならないとの命令です。これには驚きましたね。あきらかに原価を割っている旧価格で販売を続けよというのです。軍服を着た軍人の写真が掲載されて「悪徳商人」を逮捕して、道路清掃の役務をやらせているというような記事や写真まででるのです。

会社の雰囲気も悪くなってきました。日本人社会で政府のやり方の無謀を非難する声が出ていることに対して、インドネシア人が非常に不安を感じていたのだと思います。頃合いを見て思い切った見解を説明しました。「この切り下げ措置は、実に立派な措置であり、タイミングとしてはベストであった。この時期を逃していたら経済が悪化をして、われわれの商売にとってもマイナスであった。苦しいが乗り切ろう。」という趣旨でです。更に続けて「小型車は半年、中型車は1年半、大型車は3年で元の販売台数に回復する。」と断言しました。全く、根拠はありませんでした。余りにも明確に主張をしましたので、ある会社の社長さんが意見を聴きに見えたほどです。得意になって持論を展開しました。その時のインドネシア人役員やスタッフの嬉しそうな顔をみてこれでいいんだと納得をしました。

最初は、無茶だと自分の国の政府を非難していた人たちでしたが、やはり外国人に国を誹謗されるのは耐えられないことなのです。会社の雰囲気が一気に変わりました。一丸となって難問に対処をしてくれました。願いを込めて断言した小型車の半年後の復活は予言どおりになりました。それは、インフレヘッジにもなり、日銭を稼ぐ庶民の投資対象でしたから、通貨が不安定になれば人気を得るのは当然の話しなのです。中型車も大型車もそれほど違ってなかったと思います。そういう長期予想にもとづいた損失回避作戦は見事成功しましたので、お咎めもなく済みましたが、切り下げを予見できなかったことについては本社の幹部にお詫びをした記憶があります。

当時でもささやかれた話しでは、この切り下げは米国が仕組んだもので欧米の企業はすべて事前に情報を得て無傷であったとのことです。日本系企業だけが膨大な損失を被ったわけです。日本勢はマネーゲームでは敗れてもその後も市場は手放しませんでした。地方まで、はりめぐらした販売網とインドネシア人を育てて築きあげた現地組立システムは、簡単に欧米が取って代わるということにならなかったのです。

当時はやっていた「昔の名前で出ています」という歌の替え歌をつくり、「昔の値段で出ています」と歌ってストレス解消したのも懐かしい思い出です。

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