自動車輸出物語 

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記載日付:2000年11月15日
ライター:鈴木富司
番号:000-0011
タイトル: 日本海軍教育の良いところが抽出されてインドネシアで結果を出す

ある時、現地から特別な注文というか、指示を受けました。中古のエンジンと自動車修理機械など、膨大な量を送って欲しいというのです。たしか、億の金額だっと思います。また、何か考えついたなという感じで結構細かな注文品を集めて送り出しました。聞けば実に中村さんらしい徹底した構想でした。そしてそれを全く構想どおりに実現をしたのでした。あるとき、私も日本から出張して三菱自動車の幹部の方を現地に案内しましたが、それは見事なものでした。

ジャワ島の東でスラバヤから南東に何百キロか走った高原にマランという中都市があります。そこへ向かうのには通称ジャランコルト(コルト街道)を走るのですが、すれ違う車の90%以上がコルトと感ずるくらいです。ほとんど、切れ間がなく、動く歩道のようにコルトが走ってくるのです。それを見ただけで、三菱自動車の幹部さんはうなってしまいます。やがて、中村さんが設立したマラントレーニングセンターに到着しました。とくに、立派な建物があるわけではありません。販売店さんの裏の敷地にありました。しかし、その授業風景を見ると感動します。教室も実技ルームも実に清潔なのです。また、生徒さんもきびきびしていて、雰囲気が違うのです。高校時代から奨学金を与え、卒業後1年間をそのトレーニングセンターに迎えるのです。定員は30名。全員ジャカルタの親元から遠く離し、全寮制にしています。ホテルを1軒借り切って、炊事洗濯は全部まかないつきです。しかし、実技の他に普通の高専の2年分のカリキュラムがあるのです。英語、日本語、インドネシア語も必須科目です。結構きつい授業ですが、目を輝かせているのです。実技は豊富に材料を与え、全員が習得できるようにしてあります。

視察した三菱自動車の幹部さんも驚いていましたね。何しろ、毎週テストがあり、成績順に席が配置されます。それは日本海軍の方式です。しかし、変な競争ではなく、落ちこぼれがでないように、寮では仲間が一生懸命サポートをするのだそうです。校長先生は東北三菱自動車から移籍してきた村上昇平氏でした。ぼくとつな人柄の村上氏も天職のように活き活きと教育に打ち込んでおりました。トイレがぴかぴかだったのは、今でも目に焼き付いています。

ジャカルタの高校の校長さんが現地視察をして、生徒がこんなにも変わるのかと驚嘆したという逸話も残っています。逸話と言えば、まだまだ沢山あります。プライドを持たせることが重要と、運輸総局長のスンポノ将軍に中村さんが話をつけ、スラバヤからは一等車を特別に連結して、里帰りに生徒30人を乗せたというのです。家族も感激したようです。先日も中村さんを忍ぶ会で、今は株式会社ヨネイで常務さんをされている堀佳一さんが述懐をしていました。卒業生を採用するときに、相当投資をしたことでもあり、勤続年数を義務づけるという問題が討議されたが、
中村さんの思想で「辞めていくのは、マネージメントに問題があると理解すべし」ということで、無条件採用ということになったのだそうです。殆ど全員が三菱に就職したようです。私が赴任したあとも、マランの卒業生はどんどん入って戦力になりました。修理部門だけでなく、国産化を担当したり、プレス工場の幹部になったり、変わり種では絵が大変上手というので、広告部門にも配置されましたね。

三菱商事より出向していた中村敬止チーフアドバイザーは海軍の経験はありません。しかし、これは中村さんが誰にも邪魔されずに理想を実現した物語です。アジアの自動車産業発達を支えた本当の物語なのです。
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