自動車輸出物語 

ホームページ

物語一覧表

国別表

メーカー別表

この物語はメールマガジンで隔週ごとに貴方にE-メールでお届けしています。
登録方法は、
この頁をご参照下さい。


記載日付:2000年10月18日
ライター:鈴木富司
番号:000-0009

タイトル: コルト(ミニバス)は高効率の庶民の足

インドネシアで生まれたコルトは陸運行政と市場原理が生み出した動く歩道なみの交通革命であったと思います。コルトと言えば「故郷に帰る」という意味の動詞にまでなった庶民の足です。誕生にはいろいろな物語があります。まず、語源は三菱の乗用車に名付けられ、輸出用の小型トラックにも命名されたものです。最初は、スチールボデーに板を渡したベンチシートが作られて25名ものひとが乗る貨客混載車として広がっていきまいた。何しろ、交通手段がないところでしたので、爆発的に庶民の足になったのです。しかし、大勢乗せるとスピードもでませんし、何と言っても長距離には横座りは疲れる訳です。そのほか、いろいろな弊害もでたのでしょうか、東ジャヴァの知恵者の陸運局長さんが、小型トラックの荷台に乗客を乗せる営業車を禁止したのです。いわゆるミニバスの形しか免許を下ろさなくなったのです。東ジャヴァでは、ボデー改装の業者があったというか、そういう法令の後押しもあって、沢山のボデー屋ができたのです。この話も、長い物語になりますので、先にゆずって、コルトの経済的なシステムの解説をいたしましょう。

ソ連が崩壊したときに、私はこのシステムが経済合理性があるから、国の再生にロシアでも採用をしたらよいと雑誌の座談会で提案をしたくらいの優れもののシステムなのです。まず、車両はインフレヘッジにもなるので、個人の投資の対象になりました。毎日、相場が立つ完全な市場商品に育ったのです。勿論新車も中古車も毎日相場が立つわけです。相場が立つと言っても、専門の建物があるわけではありません。自然発生的なところが優れていると思いませんか。最盛期には正規の販売店の店先にはほとんど在庫がなかったですね。ピストルをつきつけて、車を売れというひとまで現れたとのことです。購入者は、路線運行権を取得して運転手に賃貸をします。毎日、賃貸料が日銭として入ります。勿論運賃は運転手さんの収入になりますが、ガソリン代やオイル代など、運転手さんが負担する部分も慣行で取り決められます。路線運航権は出発地とルートと到着地だけが決められて、あとの停車位置は自由です。ですから、街道に出て手を上げれば、すぐにコルトは止まります。降りるときもどこでも下ろしてくれます。運賃は、細かく規定したところで、守られるはずもありませんから、これまた自由だった筈です。日本の運輸行政よりも、結果としてはよほど庶民のためになりました。連なってコルトはやってきますので、動く歩道みたいに便利なものです。自由にしたら、運賃が高騰して庶民が損をすることはないみたいでしたよ。運賃の成り行きをみながら、車の登録の数を調整したとも思えませんね。まあ自由経済は競争で落ち着くところに落ち着くようです。しかし、組立台数は設備との関係でそれほど急には増産はできませんでしたね。

最初の頃は、インフレも激しかったこともあり、購入して半年もすると元をとってしまうほど、儲かったようです。娘の嫁入り時にコルトを持たせてやり、家計の足しにするとか、汚職でまとまったお金が入るとコルトを買うとか、これも庶民の利殖の格好な対象になったのです。家よりも安いし、処分がし易く、定期よりもインフレに強い、そして日銭が入るという最高の金融商品になったのです。一方、運転手や助手もとてもよい職業になったわけです。乗客には更に経済的な利便をもたらしました。町から石鹸などの日用品を担いでコルトに乗り、村では野菜や鶏を仕入れて町に持ち込みます。従来は汽車や大型バスで日帰りが無理だったのが相当遠距離まで日帰りができるようになりました。われわれ輸出・輸入・販売会社も儲かるし、組み立て工場の従業員は勿論、膨大な数の雇用を吸収する運転手やボデー屋さんなど、経済波及効果は莫大なものがありました。関係者はすべて利益を得たプロジェクトでした。よく言っていたのですが、悔しい思いをしているのは、競争会社だけだなと。

これを、大型バスでやろうとしても、無理でしょうね。投資金額も嵩むし、整備工場などを要するので、大会社か行政機関しか手が出ません。自由競争になりませんから無駄もでるし、何しろ雇用の吸収力が全く違いましたね。25人乗りを9人乗りに規制しただけで、その労働吸収力はすごいものがあったはずです。経済学者には格好な調査・研究材料と思います。インドネシア市場を開拓するときには、2年間もかけて私自身が市場調査もやりました。これもいろいろ物語があるので、あとの楽しみとしますが、正直申し上げてコルトミニバスの誕生と市場の爆発は誰も予想をしませんでしたね。あれよあれよという間の倍々ゲームでした。

コルトより少し大型のハイエースを市場に投入したトヨタさんには圧勝をしたのです。そのひとつの理由が、コルトの方が小さいので、すぐに満車になり発車したからというのです。ハイエースに乗ると発車まで待たされるので、お客が嫌ったとか。それに、コルトの方が加速がよく、追い越してお客を奪ったというのです。信じられますか。それほど、市場調査というのは机上では難しいのです。

流れがこちらに来たときに、すかさず万策を打って、猛烈なスピードで対応した中村敬止チーフアドバイザーの采配の大勝利でしたね。勝てば官軍、メーカーさんにも大分大きな態度で臨みました。商社無用論の鬱憤をはらす格好でしたので痛快でしたが、補佐官としてはつらいものもありました。

                                               もどる

                    先に進む