自動車輸出物語 

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記載日付:2000年10月4日
ライター:鈴木富司
番号:000-0008
タイトル: 日本の乗用車のテストをタイ国のハイウエイで
      行った事実 をご存じか

自動車輸出に従事していると道路の発達との関係をいろいろと思い知らされることが多いのです。メーカーには高速テストコースをはじめ悪路走行テスト場もありますが、それでも現実の道路の状況というのは、テストコースだけでは再現できないからなのです。

確か1963年のことと記憶しますが、いすゞさんが初めて開発した乗用車「ベレル」のサンプル車3台をタイ国に送り、サラブリとコーラートの間のフレンドシップハイウエイで走行テストを行ったのです。「マルナン計画」(丸の中に南と書く、いかにも日本陸軍的なネーミングですね)と称した丸秘プロジェクトでした。はっきりは覚えていませんが、3台の船積手続きは私がやったのだと思います。そのフレンドシップハイウエイというのは、米国がタイ国に援助をして建設したものですが、冷戦時代のことですので、非常時には何時でも爆撃機が離着陸できる仕様になっている道路だと聞いたことがあります。私もテストの終了したベレルディーゼルに乗って、北部タイを視察したときに、その道路を走りましたが直線部分の長い道路であった記憶があります。何しろはじめてのハイウエイ体験でした。

当時は時速100キロ以上で連続して走るなどということは夢のようなことだったのです。大学時代、自動車部に入るのは免許をとるためのひとが多かったし、東京大阪間のラリーでは毎年優勝をしていましたが、箱根を越えられる車があったからです。学園祭に自動車部が出品した高速道路のインターチェンジの模型が懐かしく思い出されます。あのクローバー型です。ボール紙でつくった模型を眺めて夢を描いていたのです。いずれ日本にも高速道路をと。桶谷繁雄先生に引率されて先輩達が富士重工のラビットスクーターで欧州5万キロの旅に挑戦したのも身近な出来事でした。先輩達がハイウエイを走った帰国談に夢中になったものでした。勿論名神も東名もないころのことですから、タイ国まで開発した乗用車をテストに持っていったという物語も納得頂けると思います。

そんな状況の日本も変わったものです。悪路がなくなってしまったために、輸出用自動車にも大変なことが起こったこともあるのです。メーカーの悪路走行テスト場では想像もできないような使われ方をして、トラックのフレームに亀裂が入るといったことが起こるのです。そのとき「日本には悪路テストができる一般道路は北海道のほんの一部だけなんですよ」と聞いたことがあります。随分と変わったものだなーと実感した某社のフレーム亀裂事件も、もう物語に入れてもよい昔話になったようです。

                    

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