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記載日付:2000年8月9日
ライター:鈴木富司
番号:000-0004
タイトル:フォード二世のアジアカー構想を激しく酷評

ジャカルタの軍の工場を改造して、三菱ジープの組み立て工場を建設をしました。今では、超多忙だったことしか記憶に残っていません。しかし、1号車のテープカットのときの記者会見は忘れることができません。何しろ、翌日の新聞はトップですごい記事を載せたのです。ジープを売り出すというのは、大した事件では無かったのですが、丁度その頃フォード二世がインドネシアを訪問していて、大統領にアジアカー構想なるものを提案していたのです。新聞にも大きく取り上げられていたようです。いや、お恥ずかしい話ですが、私はそんな重大ニュースを知らなかったのです。英字新聞は少し遅れて記事を載せますし、だいたい新聞を読む時間は全くないのが実状。テレビはまだ無かったし、ラジオのインドネシア語は判りませんからね。

記者は、ジープの話をそっちのけで、フォード二世のアジアカー構想をどう思うかに集中したわけです。われわれがおやじと慕うチーフアドバイザーの中村敬止氏は、それでなくとも激しい気性の人だし、何をフォード二世がという気持ちと、あのアジアカーなる構想をアジアを馬鹿にしたものと本当に怒っていたのです。やってしまったんですよ、記者さんにあんなのは車ではない。アジア人を馬鹿にしていると。ですから、翌日の新聞に三菱がフォード構想を否定とか何とか、すごいタイトルだったのです。三菱は日本の車と同じ仕様で、コルトをインドネシアで作ると明言をしたのです。市場で闘おうではないかということも言ったと思いますよ。まだ、当時はやっと町工場的な組み立て工場を改造したばかりでしたが、いやー受けましたね。こういう記事も、三菱コルトの爆発的な販売に影響をしたんでしょうね。当事者のわれわれ自身が、数年後にプレス工場を建てるなどという進展が見られるなんて、全く思ってもいなかったのですけれど、実際に中村発言は実行しましたからね。フォードさんも商社がどんなことをする会社か判らなかったでしょうし、びっくりしたでしょうね。しかし、年々トップセールスで実績をつくり、プレス工場までつくってしまったのですから、文句の言いようがないでしょうね。

そうそう、そのフォードのアジアカー構想というのは、曲線部分が非常に少なく、それこそお金の掛かるプレス機を使わずに折り曲げ機程度でつくるような、見るからに貧弱な格好をした車でした。フォードは、大統領に独占販売をさせてくれるなら、製造してやると持ちかけたようです。結局、アジアのどこの国も生産をしなかったのではないでしょうか。作る都合だけを考えて、市場を全く無視した計画だったようです。

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